初めての沖縄旅行:第4日目(4月2日(日))



シーサー

朝食さて、いよいよ今日は沖縄旅行の最終日。気温24度、少し雨模様だ。帰りの飛行機の時間の関係で午前中の沖縄本島の観光である。8時半に観光タクシーがホテルまで迎えに来る予定である。バイキングの朝食を摂りにレストランに向かった。レストランの中庭で朝市をやっていた。食事が済んで朝市を見た。木箱の中に珊瑚のかけらが沢山あって、「ご自由にどうぞ」と書いあった。純白の、「箸置き」に良い型の珊瑚が沢山あった。ちょうどあちこちで良い箸置きがあったら買おうと思って探していたところだった。沖縄らしく、しかもタダだったので幾つかいただいた。これは帰ってから我が家で使っているが、沖縄土産らしくて大成功だった。

泡盛昨日までのお土産を宅急便で送る手配を済ませて、ホテルのロビーでタクシーを待った。8時半になってもタクシーが迎えに来ない。ホテルのロビーマンに聞いたら、タクシーのドライバーはホテルの中には入って来ないという。外に出たらタクシーはちゃんと待っていた。タクシーに乗る頃は雨も止んでいた。タクシーのドライバーは、地元沖縄生まれの”阿波連宗愛”さんと言った。沖縄の人の名前は珍しい名前が多い。私と同じくらいのやはり戦争体験のある年代の方で、当時の話をいろいろ語ってくれた。最初に案内してくれた所は、旧海軍指令壕。昭和19年、持久戦を続ける為の地下陣地として日本海軍司令室が設置された地下壕だ。ここで幹部6人が拳銃自決したという。当時の壕の跡が生々しく残っていた。まだ当時の軍人の霊が残っている気がしてカメラのレンズを向けることは出来なかった。

ひめゆり平和記念資料館

ひめゆりの塔次に向かった先は是非訪ねてみたかった「ひめゆりの塔」だ。沖縄県女子師範学校、沖縄県立第一高等女学校の職員や生徒で編成されたひめゆり学徒隊。従軍看護婦として動員された女学生の多くが戦死したところだ。今でも女学生が隠れていた洞穴がそんまま残っている。この中で200人以上の女学生が戦死したと思うと、思わず手を合わせてしまう。美しい中庭の花壇の花を見ていると、ここでそんな悲しい出来事があった事など想像すら出来ないが、日本人なら決して忘れてはいけない事実である。

平和記念資料館

平和記念公園最後に案内されたところは「平和記念公園」。太平洋戦争で国内では唯一地上戦が行われた沖縄。海を見下ろす広大な敷地には大きく立派な沖縄平和記念資料館、平和祈念堂、国籍を問わず沖縄戦で亡くなった23万人余の全ての名前が刻まれた礎(いしじ)などが建てられていて壮観である。資料館には沖縄戦の実態を訴える資料や遺品がたくさん展示され、恒久の平和を訴えていた。

飛行機13時25分の名古屋行きの飛行機に乗るため12時に那覇空港まで送ってもらった。もう少しゆっくりしたかったが、この後の名古屋行き直行便では遅くなるので仕方が無い。早めに搭乗手続きを済まて食堂で昼食に沖縄ソバを食べた後、空港の売店で時間をつぶした。時間になったので搭乗ゲートに行ったら、またまた出発時間遅れのアナウンスがあった。結局13時25分の飛行機は40分遅れの14時5分に飛び立った。飛行機は電車と違ってなかなか予定時間通りには出発できない。4日間お天気が良かった沖縄も最終日の帰りの飛行機に乗る頃に大粒の雨が降ってきた。東北方面行きの飛行機は着陸できないほどの荒れ模様だとのアナウンスがあった。16時ごろ名古屋国際空港に無事着陸した。名古屋も雨、気温10度。すぐに浜松行きの直行バスに乗った。西インターに着いたのは18時頃、久しぶりに我が家に着いたのは18時20分。19時過ぎには風呂上りのビールを飲んで、テレビを見ながら途中で買ったお持ち帰りの寿司をつまんだのである。4日間お疲れ様でした。


土産翌日の夕方にはお土産の宅急便が無事届けられた。沖縄から浜松まで1日で届いてしまうなんて便利な世の中になったものである。出発の時も帰ってきた時も中部国際空港セントレアは雨、気温も10〜17度。しかし沖縄は最終日以外は快晴、気温24〜25度、最終日も観光中は雨も止んでいた。正に沖縄はパラダイスだった。これも日頃の私の心掛けが良いからか!?。

今回の初めての沖縄旅行は日程も少なく、約40の有人島と無数の無人島からなる沖縄の全てを回ることは無理である。エメラルド色の海、真っ青な空、そして何といっても島の住民の素朴な人情が良かった。心残りは石垣島の夕陽を見そこなってしまったことである。ちょうど夕食時間と重なってしまうのだ。沖縄本島もほんの一部しか見られなかったので、いつかまた本島だけの旅行もしたいし、もっとのんびりと他の島巡りもして見たい。また何年かしたら、もう一度必ず沖縄に来たいと思った。(完)