パソコン教室で毎週通う協働センターの駐車場の割れ目にタンポポの花が咲いている。抜かれたり、踏まれたりという、植物の生存にとって過酷な環境。そこはアスファルトの割れ目やコンクリートの割れ目、踏み固められたグランドであったりする。自ら生きる場所を選べない雑草は、風に吹かれて辿り着いた先がコンクリートの割れ目なら、そこで芽を出し花を咲かせて、次の世代の種を残していく。抜かれも踏まれても、したたかにたくましく生きる雑草の生き方は、私たちの生き方にメッセージを与えてくれる。与えられた場所で精一杯努力して生きることの大切さを。
抜いても抜いても生えてくる雑草に困っている方は多いだろうが、残念ながら除草剤を使っても雑草を完全に根絶することは難しい。しかし、完全に雑草をなくす方法が一つだけあるという。その方法は何と「雑草を取らない」ことだという。なにやら禅問答のようだが、草取りをしないと雑草はどんどんはびこってくる。やがて雑草どころか灌木が生えたり、大型の植物が次々と生えてくる。長い年月を経て、そこはついに森となって大型の植物が生い茂ると、一般に他の植物との競争に弱い植物である雑草は生えなくなるという。畑や庭の雑草を駆除するには現実的には使えない方法だが、間違いなく雑草はなくなる。
私たちが雑草を絶やすためにせっせと草取りや除草をすることが、逆に雑草の生存を助けていることになっているのだ。幾多の苦難を乗り越えて生存の知恵を獲得し、人間社会との共存に驚異的な進化を遂げた雑草たち。逆境こそが彼らを強くしたのだ。これから暖かくなると庭の草取りが忙しくなる。無駄とは分かってもやらざるを得ない。これからも永遠に雑草と人間のいたちごっこは続くのだ。(2025.4.20)