辰年の新年はどんな年になるだろうと期待して目覚めた2024年元旦。暖冬で快晴の穏やかな新年を気持ちよく迎えた。東京の娘家族孫たちは事情があって元日の夕方来ることになっていたので、元日と言っても特に何の用事もない二人暮らしの我が家は午前中は日課の佐鳴湖公園へウオーキングに出かけてひと汗かいた。公園からは真っ白い新年の富士山がくっきりと綺麗に望めた。
午後はのんびりとテレビでサッカー日本代表対タイ代表の国際親善試合を観戦。5―0で日本が快勝して気持ち良くなっていたその時だった。なんだか急にソファーがゆっくり横に揺れ始めた気がした。20秒くらい続いただろうか、隣の食堂の電灯の紐が大きく揺れているのを見て、「なんだかおかしいぞ、あっ!これは地震だ!!」・・・震度3以上に感じた。時計を見たら午後4時10分過ぎ、テレビ番組が一斉に地震情報に変わった。能登半島を震源とするマグニチュード7.6と報道され、静岡県西部は震度4と報道された。続いてすぐに大津波情報も発令された。その日のテレビ番組は夜9時まですべて地震情報一色になった。しかし現地はもうすでに暗くて詳しい情報が入ってこない。娘家族たちは夕方5時過ぎ無事に車で到着してやれやれだ。
正月2日目も暖かな良い日に恵まれた。新聞は休刊日なので情報はテレビが頼り、少しずつ地震の被害状況が分かってきた。予想をはるかに上回る被害に驚く。輪島の朝市通りで大規模な火災が発生して壊滅状態になっている。能登半島地震のニュースが続いた2日目の夕方6時のニュースで、今度は夕方5時57分ころ、羽田空港で日航機が炎上したとのニュースが飛び込んできた。その後の情報で札幌発羽田行きの日航機が着陸と同時に能登半島地震の支援物資を運ぶ海上保安庁の航空機と衝突したとのことだ。日航機の乗客乗員379人は奇跡的に全員脱出に成功したというが、海保機の5人が死亡したのが痛ましい。
正月3日の朝刊には「能登震度7死者55人」と「日航機羽田で炎上」の2つの大見出しが1面と24面に見開きで並んで掲載された。こんな新聞を見たのは初めてだ。暖かで穏やかな正月の2日間に大きな天災と人災が立て続けに起きてしまった。その後の途中情報だが能登半島の地震被害は死者160人以上、安否不明者が300人以上とも。孤立地域が多いため被害状況の全体像は未だ不明とのことだ。正月で帰省中の若い家族が多く被災されたのは不運としか言葉がない。正月2日、3日は恒例の箱根駅伝が開催され、「青学大が2年ぶり7回目の総合優勝」というのが、せめてもの明るいニュースだ。(2024.1.8)