ここに祀られるこれらの地蔵尊は江戸時代前期から中期にかけて建立されたと考えられる。昔、旅の巡礼が、この地で亡くなられ、地蔵尊を建立して丁重に供養したのが始まりと言う。四体のうち、向って右側の地蔵の台座には「維持延享三丙寅十一月十七日、蜆塚邑、同行十三人敬白」、一番左側の地蔵尊には「天和三亥九月十日」と読める字句が彫られている。また、他の三体もそれぞれ建立年が異なるようである。この四体以外の地蔵も多く作られたが、ここには祀られていない。
こうしたことから今年でおよそ260年から320年前の地蔵尊であることがわかる。これらの地蔵尊には大変ご利益があると言い伝えられ、昔より地元の人々の信仰を集め崇拝されてきた。明治、大正のころには、朝から米を炊き、団子やみそ汁を作り、川瀬一族の子供をみんな呼んで昼食を食べさせたが、最近は共同で供え物をして、毎年7月24日の午後から、主に川瀬一門の人々によって盂蘭盆供養が行われている。なお、昭和45年の区画整理の時にこの地に移転し、寄付人名簿は昭和3年に書き換えられ、その後昭和62年にも書き換えられている。これらのお地蔵さまをいつまでも大切にして、後代に伝えていきましょう。平成17年5月、蜆塚地蔵保存会・・・・浜松市博物館東側(2007・10・8)