豊橋の市電は大正14年生まれのおじいちゃん。 豊橋駅前から多米町の4.7kmと支線の0.7km、合わせて5.3kmを走る。「ブォー!」と警笛を鳴らすと 「ガタン、ガタン」とゆっくり動き出す。連なる車の群れが、横を勢いよく追い抜いていくが、市電は時速 20キロのマイペース。止まっては走り、走っては止まる。“ユックリズム”で乗客を運ぶ。
開通当時は豊橋は「東田遊郭」や「歩兵十八連隊」、製糸工場などがあり、花形的な存在で、特に祇園祭り、鬼祭りなど、催し物がある時は超満員の盛況だったと言う。その後、昭和20年の大空襲で不通になったり、経営する会社の名前や路線がが変わったりしたが、雨の日も風の日も休むことなく、豊橋の戦前戦後、そして昭和史を見てきた。そして平成の今も元気で走り続けている。
車社会の到来とともに、経営合理化の波で、全国的に少なくなってしまった路面電車だが、一部では車社会の見直し、公共の足としての便利さが見直され、東京を始め、各地で路面電車を復活させようとする動きがあると言う。