デジカメで遊ぼう!

7年前に初めて買ったデジカメは当時主流の200万画素のキャノンのデジカメ。2年前までは大活躍していたのに新人の500万画素のニコンのデジカメに主役の座を奪われ現役を引退した。今では200万画素のデジカメなんて中古でも見当たらない。コンパクトデジカメでも700万画素、800万画素が当たり前、1000万画素なんていうのもある。携帯電話のデジカメでも200万画素以上ある昨今だ。

技術の進歩のスピードは目まぐるしいほどだが、メーカーは必要以上の過当競争をしてお互いの首を絞め合っている。素人には画素数が大きくなり過ぎて使いづらい。ホームページに載せるだけなら200万画素でも大き過ぎるほどだ。キャノンの200万画素のデジカメは現役を引退してもまだまだ働けるのにもったいない。それなら、もう一度現役復帰して第2の人生で活躍してもらおうとお願いしたのがこのコーナ−だ。余り無理しないで好きなことだけをして楽しんでもらうことにした。(2008・5・10)


私がこの度第2の人生として現役復帰した2001年3月発売の200万画素のキャノンPowerShotA20である。当時定価が8MBのコンパクトフラッシュが付いて¥56,000、128MBのコンパクトフラッシュカードに至っては、カメラ本体より高い¥58,000もするとカタログに載っていた。今なら1000万画素のコンパクトデジカメが2万円台、1GBのコンパクトフラッシュカードが¥3,980で買えることを考えると、たった7年しか経っていないのに隔世の感がある。

私の復帰第1作目は鏡の前の自分の姿をセルフタイマーを使って撮りました。撮ってから気がついたのですが、Canonが「nonaC」になって、鏡に映った自分は左右が逆さまでした。これだけは画像処理で左右反転しました。自分で言うのも何ですが、なかなか男前でしょう。やはり引退するのはまだ早い気がします。さすがに体力では若い者にはかないませんが、技術や知識はまだ若い者には負けませんよ。長年の経験を活かして、もうひと頑張りしてみようと思います・・・・というわけで、キャノンPowerShotA20君には、このコーナーを担当して、もう少し活躍してもらうことにしました。皆さんよろしくお願いします。(2008・5・10)


我が家の台所の冷蔵庫を開けたら野菜コーナーにパプリカがあった。早速窓際で撮ってみた。まず普通のオートで撮ってみた。今のカメラはシャッターを押せば露出もピントもみなカメラが自動でやってくれる。だから猿でも一応は失敗なく写真が撮れる。失敗なく撮れるけど、それでは誰でも「写心」が撮れるかというとそれは違うような気がする。

「写真」は撮れるけど「写心」はそう簡単には撮れない。「写心」が撮れるようになれば大したものである。写真は「撮る人の心」が写ってこそ本物だと思う。これには長年の写真経験と永年の人生経験が必要だ。私にそんな写真が撮れるかどうか疑問だが、できればそうなりたいと思っている。








今度はフラッシュを焚いてみた。フラッシュを光らせて撮ると色鮮やかに撮れるが影のないのっぺらな写真になる。免許証の顔写真がこういう写真だ。いわゆる奥行きのない平べったい写真になる。基本的に写真は自然光で撮るべきだと思う。特に室内では雰囲気のない写真になってしまう。

私の場合はよほどの必要がない限りフラッシュは焚かないで自然光のみで撮影している。常にはフラッシュのスイッチはOFF である。よく昼間の屋外でも必ずフラッシュを光らせて撮っている人がいるが、全く意味がないばかりかバッテリーの無駄使いでしかない。細かく言えば環境破壊にもつながる。 ただし料理屋のメニューに載せる料理を美味しそうに印刷しないといけない場合は、この限りではありません。あくまで写真の目的を考えて使い分けましょう。







マニュアルに切り替えて露出補正をマイナス2でローキーに撮ってみた。随分と重い感じになった。何かパプリカが悩みを抱えているかのようだ。どんな悩みを抱えているのだろうか。・・・・・みんなの食卓に並んで美味しく食べてもらえるだろうか?、冷蔵庫の隅に忘れられてしおれてしまわないだろうか?、・・・・・その程度の悩みなら私でも相談に乗れそうだ。わたしの60数年の人生経験が役に立つなら相談に載ってあげてもいいのだが。

意図のある表現をしたい時は、いつもオートでばかりで撮らないで、時にはマニュアルで露出補正などを活用してみよう。カメラで写真を撮るのは目的ではない。自分の心のイメージを表現する為の道具がカメラだ。イメージを表現するための手段をいろいろ考えて試行錯誤する時間がまた楽しいのだ。








今度は露出補正をプラス2でハイキーな感じを出してみた。上の写真に比べてガラッと明るい感じになった。オレンジ色のパプリカも黄色になってしまった。同じ物体なのにこんなにも雰囲気が変わってしまう。このパプリカはいつもスライスして我が家の朝食のサラダになるのだが、シャキシャキッとしたさわやかな感じがして美味しい。このパプリカの場合プラス1くらいが一番適切だったかもしれない。

デジタル写真は後で画像補正が自由にできると言っても、やはり撮るときに目的に合った適正露出で撮るのが一番いいに決まっている。後で画像を修正するのはごまかしにすぎない。だからプロはライティングと露出に一番気を使うのだ。年配の女性のホクロやシミも簡単に消すことができる。新緑の風景を紅葉の風景に変えるのだって朝飯前だ。最近の印刷物の写真はほとんどが修正画像と言っていい。だからわざわざ「イメージ写真」と断り書きがしてある。・・・・・この写真を撮った翌日の朝食にこのパプリカはスライスされてサラダになり、美味しくいただきました。(2008・5・10)









台風の雨は嫌いでも、久しぶりに”しとしと”降る明るい雨の日は嫌いではありません。庭の花も木も汚れが落ちてイキイキとしてきます。庭に水をやらなくてもいいので助かります。こんな日はふだん読めなかった本を読んだり、ホームページの新しいテーマを考えたりのんびり過ごすいい機会です。昼前に雨が上がったので庭に下りてみたら、雨をたっぷり含んだ紫色のショウブの花が色鮮やかに咲いていました。やはりショウブの花は雨の日が似会います。

一般的に花の撮影は午前10時ごろまでで、カンカン照りの日の午後は花もみずみずしさがなくなって、しかも真上からの強い日光ではコントラストが強すぎて花の美しさは失われます。だけど雨の日は午後でも花が美しく輝いています。ピーカンの日よりも、むしろ明るい雨の日や薄曇リの日の方が日差しが柔らかで花が美しく撮れます。コンパクトデジカメは構造上バックを綺麗にぼかすことはできないのが難点ですが、このコーナーではコンパクトデジカメなりにいろいろ工夫して楽しんで遊ぶことに徹しようと思います。工夫次第では結構面白い写真が撮れると期待しています。まだ今までやったこともない意外なものが飛び出してくるかも知れませんよ、楽しみですね。(2008・5・11)





庭にあった狸の顔を、いろいろな角度から撮ってみた。 角度を変えるといろいろな表情があることが分かる。4カットをワードに張り付けてそれをまたデジカメで撮った。そうすればスペースを取らずに一覧できる。物事は一つの方向から見て判断してはいけない。正面からだけではく、右から左から、上から下から、いろいろな方向から見ないとほんとのことは分からない。

後ろから見たらカッコよかったので期待して前に回ったらガッカリした・・・・・なんてことは日常よくあることだ。・・・・・いや、勘違いしないでくださいよ、街ですれ違ったご婦人の話をしているのではありません。写真の撮り方の話をしているのです。私は花を撮る時も、風景を撮る時も、右に回ったり、左に回ったり、後ろに回ったり、下から見上げたり、高い所から俯瞰したり、いろいろな角度から、その被写体のいちばん美しい姿を見つけるように努力しているのです。(2008・5・12)




“孫は目に入れても痛くない”という。それなら自分で実験してみようとやってみたのがこの写真だ。なるほど!ほんとに目に入れても痛くなかった。眼鏡をはずした小さな自分の目にレンズをい向けて、接写モードで自分撮りした写真に、ピクチャに保存されていた孫の写真を切り取って貼り付けただけの簡単なものである。これ以上顔全体を大きく撮るとシミやそばかすがいっぱい映ってしまうのでヤバイ。それにしても小さなショボイ目だなあと、我ながらつくづく思ってしまった。

デジカメはフイルムを買ってこなくてもいいし、カメラ屋へ現像に出さなくてもいい。思いついたら直ぐに撮って確認できてパソコンの画面で処理ができてしまう。フィルムの時代では考えられないことだ。さて次はデジカメでどんなことをやってみようかな、と考えるのは楽しいものだ。(2008・5・15)






まっ白い紙の上にまっ白い卵を置いて、日中の明るい窓際でオートで撮ってみる。最近のカメラはデジカメに限らず露出もカメラが自動的に計算して一番適切と思う値に設定してくれる。しかし、どんな条件の被写体も適切かというとそうとは限らない。白い背景も白い卵もまっ白には写らない、全体が灰色がかって撮れてしまう傾向がある。白い面積が多いと、カメラの露出計は画面全体を「明るい被写体」と判断してしまい、露出をアンダー状態にして写してしまうからだ。冬の雪国の白一色の風景を撮影しても同じような状態になってしまうはずだ。こういう時は、露出をプラス補正して実際の雰囲気に近づけるしかない。

反対に黒い背景に黒い被写体を写しても、やはり黒が灰色気味に撮れてしまう。逆に「暗い被写体」と判断して露出をオーバ−ぎみに撮ってしまうからだ。この場合は露出をマイナスに補正することで黒が締まってくる。もっともデジタル画像は撮影後にパソコンで自由に修正できてしまうから余り神経質になる必要はないと思っても、所詮パソコンでの修正はごまかしだから、適正露出の写真の諧調のような美しい仕上がりにはならない。基本を知っていると知らないでは大違いだ。(2008・5・16 )


写真はフレーミングだよ、アングルだよ、とよく言われる。昔はシャッタースピードと絞りの値を決めるのが技術力だった時代は、まず露出を正確に撮るのがその人の腕だった。それが出来て初めてフレーミングとかアングルを語ることができた。しかし今は露出やピントはカメラが自動でやってくれるので、撮る人はフレーミングとアングル、シャッターチャンスに専念できるいい時代になった。人と違う、一味違った写真を撮ろうと頭をひねることになる。アングルを変えると、また普段見慣れない面白い写真ができる。

露出はカメラのコンピュータが自動でやってくれると言っても、そこは所詮機械である。場合によっては補正が必要になる。接写モードで露出補正をプラス1くらいにして、セルフタイマーをセットして地べたにカメラを仰向けに置いて撮ったのがこの写真だ。レンズを空に向けると露出がアンダーになって肝心のアヤメの花が暗くなってしまう。こういう場合はプラスの露出補正が必要だ。地べたにカメラを置くのでファインダーや液晶画面が見えない。運を天に任せて撮ることになる。しかしデジカメは撮ってすぐに確認できるので、気に入らなければ何回でも撮り直せばいい。バックは樹木の葉っぱなどで少し暗いほうが撮りやすい。バックが明るい空では明暗差がありすぎて露出補正が難しい。そんな時はフラッシュを使うのも手だ。(2008・5・18)



地べたにカメラを仰向けに置いてセルフタイマーで撮る第2段。バックが樹木の葉っぱで少し暗くなる所を選ぶのは同じだが、白い花を浮き出させるために、露出をマイナス1にして撮ってみた。結果はオーライだった。オートで撮ると白い花はどうしても飛んでしまう。フラッシュを焚いてみたら全く不自然な写真が出来てしまった。露出をプラスにするか、マイナスにするかは、被写体次第、状況次第ということになる。いろいろ実験して経験するしかない。

このコーナーに出てくる写真は、ほとんどが身近なところで取材している。我が家の家の中や一歩出て庭で撮ったり、少し足を延ばしてせいぜい佐鳴湖公園がほとんどである。遠くへ足を延ばせば良い写真が撮れるわけではありません。まずは身近な身の回りでひと工夫もふた工夫もして撮ってみると、写真術が身に付いてきます。(2008・5・18)






写真を撮るときに一番気を使うのはバックの処理です。バックの処理次第で写真がグッ!と引き立ちます。出来るだけ単純化しスッキリさせるのがポイントです。佐鳴湖公園を散歩していたら、田んぼの畦道にイネ科の植物の白い穂が逆光に輝いて美しく光っていました。輝く白い穂を浮き立たせるために、バックに暗い茂みを入れて、マイナス1に露出補正して、バックの明度を落としました。意図通りに輝く白い穂が綺麗に浮き出て撮れました。補正なしではバックが明る過ぎる、マイナス2では白い穂も暗くなってしまう。適正露出はオートの時代になっても手作業の補正が必要である。

これは主題を強調してハッキリ浮き立たせる手法としてよく使う定番の手法です。「バックを暗くして花を浮き立たせるのはどうやって撮るのですか」、とよく質問されます。写真は光の明暗差です。主役よりも明度が明るければ明るく写り、暗ければ暗く写る、ごく単純な理屈です。バックを暗く落としたい時には、バックに主役よりも暗いものを持ってくれば良いだけです。(2008・5・18)




いま我が家の庭にまっ白いマーガレットが足の踏み場もないほどたくさん咲いている。植えたのか、自然に生えたのか記憶にないが、とにかくどうしようもないほど増えてしまった。種がこぼれて来年もまた庭中マーガレットだらけになるでしょう。でも咲けば綺麗で好きな花だ。花言葉は「真実の愛」である。

花をアップで撮ってバックをぼかす。・・・花を撮るときの定番テクニックである。コンパクトデジカメは構造上(レンズの焦点距離が短い)被写界深度が深すぎてバックを綺麗にぼかすことが難しい。バックをぼかしたい時は接写モードにして出来るだけ絞りを開けて長焦点にして花に近づく。絞りを開けるためには光は弱いほうがいいので、曇り空の時に撮ってみた。

このデジカメには絞り優先とか、シャッター速度優先などという洒落た機能は付いていない。コンパクトデジカメは手動でピントを合わせることはできないので、接写の場合は特に注意が必要だ。対象を真ん中に持って来てシャッターを反押ししてピントを合わせる、そんままフレーミングし直して、シャターを押しこむ、つまりフォーカスロック機能を使うことだ。この画像のプロパティを覗いたら、絞りf4、シャッタースピード1/160だった。コンパクトデジカメの場合はせいぜいこの程度でしょう。(2008・5・20)


デジカメの設定に「ホワイトバランス」というのがあるが、正しい意味を知らない人が多い。何も知らない人は初期設定の「オート」のままで撮っている。別にそれで写真は綺麗に撮れるので何も困らない。しかし、ちゃんと意味を知っているのといないのでは大違いだ。「ホワイトバランス」とは「白いものはちゃんと白く写す」ということだ。白は必ずしも白くは写らない。光線の種類や状態によって赤く写ったり青く写ったりしてしまう。それを補正するのが「ホワイトバランス」だ。夕焼けは見た目のように赤く写ってこそ「夕焼け」である。ホワイトバランスをオンにすると「白い雲は白く写さないと」という親切心がカメラに働いて、思ったより赤くは写らない。これでは、せっかくの夕焼けの風景の感じが出ない。

雨上がりの夕方、佐鳴湖畔に夕焼けの取材に行ってきた。夕日が沈んだのが6時25分ごろ、すぐには空は赤くならない。待つこと約20分。やっと西の空が赤くなってきた。ほんとに赤くなってきたのは日没後30分近く経ってからだ。夕焼け空を赤く強調するため、ホワイトバランスを「曇天モード」にした。曇の日は色温度の関係で画面が青っぽく写ってしまうのを補正するため「赤く補正する」機能を逆用して撮った。空と湖面の赤が強調されて、より「夕焼け」らしくなった。なおこのコーナーの写真は、トリミングはしても撮影後の画像修正は一切しないことを原則としている。(2008・5・20)


デジカメの設定に「白黒モード」がある。フイルムカメラはカラーで撮る時はカラーフイルムを、白黒で撮る時は白黒フイルムを入れる必要があるが、デジカメはモードを変えるだけで白黒で撮ることができる。カラーで撮って、画像修正で白黒にすることも簡単にできる。それならわざわざ白黒モードなんて必要ないように思うがどうだろうか。やはり、最初から白黒モード撮った方が白黒の諧調が良いということだろう。白黒向けの被写体を求めて町内のお寺に行ってきた。お寺は白黒向けの被写体が多い。デジカメでわざわざ白黒モードで撮る人は余りいないだろう。カラーで撮れば白黒にも修正できるが、白黒で撮った写真はカラーにはならない。

写真歴の長い人は白黒写真に魅力を感じるようになる。ほんとの写真の味はやはり「白黒」だろう。ある有名な写真家がこんなことを言っていた。・・・・・「もし、部屋に自分の写真を飾る場合はモノクロに限る。カラーの場合は、作品の絵柄がそのまま部屋の中の風景の一部として連続してしまう。モノにはすべて色彩が付いている。だからカラープリントの場合はその周辺の風景と混在してしまうのだ。モノクロの場合は最初から「色彩を断念」してしまっている。だから周辺の現実世界を切断して、そこに独自の画像世界が展開する訳だ。これがモノクロの魅力だ」・・・・・私も同感である。(2008・5・27)


写真を趣味としている人間はいつも眼がカメラのレンズになっている。だから散歩していてもボンヤリ散歩しないで、何かいい被写体がないかと周りをキョロキョロしながら歩く。白黒写真の取材にお寺に行った帰りに、運動を兼ねて少し町内をグルッと遠回りしてみた。久しぶりに歩く道は何かいいものに出会いそうで楽しいものだ。 途中、ご主人を車椅子に乗せて散歩している年配のご夫婦に出会った。「今日は暑いですね!」とお互いにニッコリ挨拶した。とてもいい感じのご夫婦だったので、ほんとはレンズを向けたかったが遠慮した。

お寺から300メートルほど歩いた畑の真ん中に面白いものを見つけた。何やら樹脂製のキャラクターものが4点、キャラクターの名前はよく分からないが、どうして畑の真ん中にこんなものがあるのだろう、と思った瞬間、無意識にシャッターを押していた。きっと私の心の中で童心がよみがえったのだろうか。こんなところにこんなものがある不思議さに感動したのだろうか。とにかくカメラのレンズを向けてシャッターを押していたのである。よく考えたら、この畑の隣は町内でバイクショップを経営しているお店の自宅だった。お店に飾ってあったキャラクターが不要になったので、自宅隣の自分の畑に置いたのだろうと想像した。「どうしてこんなものを撮って面白いのですか?」と聞かれても答えようがない。趣味とは所詮自己満足の世界、他人が何を言おうと、自分が気持がよければそれでいいのである。(2008・5・27)


いくらカメラの機能や性能が向上して自動化されても、画像そのものを決める決定的なものは撮影レンズである。レンズが悪ければ良い画像はできない。虫眼鏡は新聞の活字を拡大して読めればいい程度なので、真中は読めても周辺は字が流れてよく読めない。天井の蛍光灯が写ったりしている。平面に置いてあるはずの紙面が歪曲している。レンズを通した像の歪みを直すには高度な技術と高価な材料が必要なので、良いレンズは価格も高くなる。安物の虫眼鏡はカメラのレンズには使えない。

フイルムカメラ時代には、カメラメーカーというよりレンズメーカーによってレンズの味がそれぞれ違って、切れがどうとか、ボケ味がどうとかレンズの性能にはみんなうるさかった。その中で特にこだわるのはボケ味だった。ズームレンズが出現してから、ズームレンズはボケ味が汚いので、こだわる人は高価な単焦点で大口径の明るいレンズを好んで使った。デジタル時代になってもレンズの性能の重要さは同じであるはずだ。しかし、コンパクトデジカメでは「ボケ味云々」するような写真が撮れないのが残念と言えば残念だ。まあ、手軽さを活用した遊び方を考えるのも楽しいものである。でも、またいつかは写真のウンチクが言えるような写真を撮ってみたい気もする。(2008・5・30)


私の好きな「花と蝶」(昼間の)を撮りに行こうと、少し足を延ばして浜名湖ガーデンパークへ行ってきた。薄曇の絶好の花日和で、しかも休日とあって、家族連れで大いに賑やかだった。自宅から車で20分ほど、駐車場も入場料も無料で季節の花がいろいろ見ることが出来て、デジカメとペットボトルのお茶を持って広い園内を一周すると、適当な運動になって、運動不足の時には一石二鳥でこんな素晴らしいところはありません。目当ては「花と蝶」だったが、まだ季節が早いのか、残念ながら蝶はほとんどいなかった。

モネの庭を歩いていたら、名前は知らない紫色の花に熊蜂がやってきて、盛んに蜜を吸っていた。動き回ってじっとしていない。レンズを向けるとすぐにどこかへ逃げてしまう。10カットほど撮って、何とか捉えることができた。コンパクトデジカメの接写モードで動きまわる熊蜂を撮るのはなかなか難しい。逃げたらしばらく待つとまたやってくる。そこをすかさず狙うのだが、角度がイマイチだったりで、なかなか思い通りのイメージにならない。動き回る熊蜂のピントがイマイチなのは不満だが、こんなところで良しとした。写真は忍耐との戦いでもある。ベストショットを狙って1時間でも2時間でもジッと我慢できないと感動する写真は撮れないものだ。(2008・6・8)


写真は光線状態(ライティング)が重要な要素である。光の状態は大きく分けて順光、逆光、半逆光(斜光)などがある。一番失敗のないのは太陽を背にして撮る順光で、旅行に行った時の記念写真の定番の撮り方だ。しかし、一番つまらないのも順光で撮った写真だ。特に風景などではメリハリのない薄っぺらな写真になってしまう。

わざわざ主役を黒くつぶしてシルエットで撮ることがある。明るいバックに露出を合わせると、バックより暗い被写体はシルエットになる。いわゆる逆光を利用した撮り方だ。窓際で人物を撮ると顔が黒くなってしまう状態を逆利用したものだ。オートでそのまま撮ればこの場面では何も考えなくてもシルエットになるはずだ。それでは単なる失敗作品である。主役をシルエットにする時は、それなりに意味が欲しい。・・・・・「日常の悩みを忘れて、一人静かに瞑想にふける女性」・・・・・などは、少し考えすぎか。(鳳来町「満光寺」にて)(2008・7・6)





「もう一歩前へ!」・・・男子トイレの注意書きではない。写真の撮り方の注意である。初心者はどうしても被写体から遠く離れて構えてしまう。主役が小さくなって、どれが主役なのか、何を撮ろうとしたのか主題がハッキリしない。もう一歩前へ足を踏み出して主役に近づいて撮って欲しい。思い切ってピントが外れるくらいに近づいて撮るとグッと迫力が出てくる。

この猫も20cm位まで近づいて、猫に噛みつかれる位の距離から撮っている。飼い猫だから噛みつかれることもなく、逃げる様子もなかった。・・・「俺様の縄張りにこれ以上近づくな!」・・・と言ったかどうかは知らないが、そんな雰囲気が伝われば、私の意図は表現できたと思う。黒い猫だからより効果的だった。これが白い猫だったら雰囲気がガラっと変わってしまう。写真はその時の運も大いに影響するものだ。この猫を見た瞬間にテーマがひらめいた。こういう動きのある被写体の場合、余りのんびり考えている余裕はないので、「瞬間のひらめき」が大切である。何度もシャッターが切れるとは限らないので、一瞬のひらめきで構図を決め、気がついた時にはシャッターを切っていた。・・・くらいの素早さが必要である。(2008・7・12)


久しぶりに5時に起きて佐鳴湖公園へウォーキングに行ってきた。もちろんデジカメをポケットに入れてである。結構たくさんの人が早朝のウォーキングに来ている。すれ違うたびに「おはようございます」と挨拶し合う。耳に聞こえる時は「おいーす!」になっているかも知れない。無言ですれ違う人もいるが、98%は返事が返ってくる。こちらが言う前に向こうから元気に挨拶されてしまうこともある。返事が来るか来ないかは雰囲気で分かる。社会生活の第一歩はまず挨拶からだ。挨拶がちゃんとできる人に悪い人はいない。・・・・・ここは人生論を語るコーナーではありませんでした。

里山を愛する人たちが管理する田んぼの奥の池のほとりにヤナギランの紫色の花がきれいに咲いていた。さらに近づいてよく見たら、シジミチョウが一羽、羽を休めていた。私の好きな「花と蝶」である。早速接写モードで何カットか撮った。6時10分ごろだった。早朝の柔らかい光の中で美しく輝いて見えた。朝早く草むらをよく観察すると、思いがけない被写体に出会うことが多い。この時間は虫達もまだ寝ぼけていてじっとしているので都合がいい。この日も蝶のほかに、トンボ、イナゴ、カエル、メダカなど、たくさんの小動物に出会った。こういう小さなものに目を向けるのも楽しいものである。(2008・7・19)


写真は光の明暗で表現する。単純に光の明暗で表現する被写体の代表に砂丘がある。中田島の砂丘は日本でも有数の砂丘として有名だが、天竜川のダム建設により上流からの土砂の流出が少なくなり、砂丘がどんどん小さくなっているのが問題になっている。この問題とは別に、私は「浜辺」をテーマにした写真を取材中である。その中のワンカットがこの写真だ。原画はカーラーであるが、パターン化するためにグレースケールに修正した。このコーナーは原則画像修正や加工をしないことにしているが、素材のイメージを優先したため許されたい。

砂丘は写真や絵の題材によく選ばれる。風によって美しい風紋ができる。真冬の風の強い早朝に訪れると美しい風紋に出会う。真冬の早朝はそう簡単には行けないので暑かったけれど行ってみた。結構綺麗な風紋に出会うことができた。浜辺を訪れると、釣りをする人、犬の散歩をしている人、サーフィンをやっている若者など、結構大勢の人がやってくる。浜辺にはいろいろなものが打ち上げられたり、捨てられている。テレビ、サンダル、人形、ペットボトル・・・その他いろいろ。浜辺にはいろいろな人間模様があって面白い。(2008・8・3)


花火を撮影する場合は、基本的には三脚を立ててバルブで撮影する。コンパクトデジカメの場合はバルブの機能がないので花火が開いたタイミングでシャッターを押すことになるが、タイミングを合わせるのが非常に難しい。もう一つの大きな問題は手ぶれである。真っ暗な中でシャッターを切るのでシャッタースピードがかなり遅くなる。この花火の写真のシャタースピードは4分の1秒だった。最近のデジカメは手ぶれ防止機能付きが多いが、初期のデジカメにはついていない。コンパクトデジカメを私の大きな三脚に乗せるのも恰好が悪いので三脚は持っていかなかった。仕方がないので近くに駐車中のトラックのボディーに腕を固定して撮った。

ちょうど花火の上がる位置に半月が出ていた。「花火に月」も偶然の取り合わせとなり面白い構図になった。この日は夕方、南遠州地方に大雨注意報が出て心配したが、何事もなく無事1時間の花火の供宴を楽しむことができた。ちょうど孫たちが夏休みで東京から来ていたので、よく見えるようにと湖畔近くまで行って一緒に見物した。孫たちは途中で眠くなって帰ってしまった。もう少し風があると煙が流れるのだが、連発すると煙で折角の花火が隠れてしまうのが残念だった。佐鳴湖の花火は規模が小さいので、ジャスト1時間で終わり。夕食後に見物するにはちょうど手頃な花火だ。(2008・8・9)


太陽の光は季節や時間によって変化し、様々な光線状態を演出してくれる。写真にとって大切な要素は、この光の状態を上手く使いこなすことである。光には順光、逆光、半逆光、斜光などがある。紅葉などは光の状態によって随分雰囲気が変わってしまう。紅葉を撮る場合は太陽の光が当たっていることが条件である。曇りの日や日陰の紅葉は見た目にも鮮やかではない。そして遠くから撮る場合は順光で撮る方が色鮮やかである。しかし、近くで見るとき、逆光で見る紅葉は透き通るように輝いて美しいものである。紅葉をアップで撮るなら、やはり逆光で撮るのが一番美しく輝いて見える。ところが逆光をオートで撮ると暗く撮れてしまって、見た時の美しい紅葉が撮れない。

逆光で撮ると太陽に向かって撮ることになるため、カメラは明るいと感じて、露出をアンダーに撮ってしまうのです。このため紅葉の部分が露出不足になって暗く写ってしまうのです。こんな時には露出補正でプラス補正して撮ると柔らかく透き通った紅葉の感じに撮ることができます。露出補正は3段階ほどに変えて何枚か撮っておけば失敗なく撮れるはずです。これも何回か経験するしかありません。デジタルは失敗したら後で修正すればいいや、と思っていたら、それは間違いです。ソフトを使った画像の修正はあくまでごまかしです、適正露出にはかないません。撮るときに適正な露出で撮るべきです。(2008・11・30)


写真は光と影の芸術である。秋の午後、美しい影を求めて浜松城公園に行ってみた。紅葉の季節にはまだ早い平日とあって訪れる人影はまばらである。美術館の駐車場の管理人も手持ち無沙汰の様子だった。この時期、花はちょうど端境期で、ほとんど見られない。何かいい影がないかと公園内を一周したら、西に傾きかけた太陽の光に照らされて、木の幹に木の葉の影が美しかった。美しいと感じるかどうかはその人の勝手で、私は美しく感じてカメラのレンズを向けてシャッターを押した。秋の3時過ぎの太陽が落ちるのは意外に早く、時々太陽が雲の陰に隠れて影が消えてしまうので2,3回シャッターを切って、また光が差し込むのを待ったが、太陽は木の陰に隠れてしまって、先ほどの美しい影は2度と現れてくれなかった。

もう一度言いいますが、写真は光と影が作りだす美しさを一瞬のうちに切り取る行為である。動かない風景を撮る場合でも、自然の太陽の光は刻一刻と動いている。光の織り成す光景の美しさは一瞬である。その一瞬を見逃してしまうと2度とその美しい光景には出会えない。このことは日ごろ心しておかないと、シャッターチャンスを見逃して後悔することになる。「あ!しまった」と思った時は後の祭りである。(2009・10・3)



思い出したように久しぶりにPowerShotA20君と遊んでみようと、ほんとに久しぶりに単三電池を入れて電源を入れたがレンズが出てこない。2、3回スイッチを押したらやっと目を覚ましたように「ビュウウーン」と出てきた。今度はレンズのズームボタンを押したがレンズが回らない。これも何回か押しているうちに、めんどくさそうに「ボヨヨーン」と動いたがずいぶん重たそうだった。日付を見たら9か月ぶりに電源を入れたことになる。機械は使わないと錆びついてダメになる。いや機械ばかりではなく人間の体も脳もみんな同じである。毎日8千歩を目標に歩いている。脳みそもできるだけ使うように努力はしようと思っている。あくまでも目標である。が、それがなかなかである。

さて、何とか動いたPowerShotA20君のレンズの前に、ウイスキーの水割りを飲むグラスの底をかぶせて、テレビの前にあった小さなぬいぐるみのカエル君を撮ってみた。コップの模様がアウトフォーカスに写って真ん中のカエル君がいかにも可愛らしく写った。「それがどうした!」と言われても困るが、写真はいろいろと工夫して楽しめばいいと思っている。あまり理屈ばかりこねないで、単純に楽しむのもいいのではないかと思うようになった。これも年のせいなのだろうか。人間齢を取ると丸くなるのである。(2010・7・15)


写真の被写体には様々なものがある。目に見えるものなら何でも有りと言っていい。その中でよく対象となるのがパターン化したものだろう。つまり模様化した物体である。あるものは規則的に、あるものは不規則にパターン化したものである。こういったものは世の中にはいくらでもある。ただ写真の対象として見るか見ないかだけである。関心がないと何も見えないが、関心があるといろいろ見えてくる。人間いくつになっても好奇心を失ってはいけないと言う。おかげで好奇心だけは旺盛である。

年金生活になってから、自給自足体制確立のため、我が家も犬の額?(猫の額よりは広い)ほどの家庭菜園を作った。定番のキュウリにトマト、ナスにピーマン、オクラにエダマメ、そしてゴーヤも大好きなので植えている。おかげで2人家族では食べきれないほど成るときは成る。今朝もゴーヤがたくさん採れた。ゴーヤのイボイボが面白かったのでついデジカメで撮ってみたくなる。接写モードで撮ってみたのがこれ。ふだんゴーヤの表面などじっくり観察したことがないけど、こうして見てみると、「ふーん!なるほど、こんなにデコボコなのか」と思ってしまう。ゴーヤはこの日の夕食に味噌炒めで美味しくいただいたことは言うまでもない。(2010・7・24)


「働けど働けどなおわが暮らし楽にならざり、じっと手を見る」・・・・・石川啄木は可なり貧乏暮らしをしたようである。私もお金持ちとは程遠い暮らしをしているが、貧乏というほどでもない。そこそこの年金をいただいて、時々パートタイマーのようなことをして多少の小遣いをいただいて、いわゆる一般庶民の平凡な暮らしをしている。そこで改めて自分の手のひらをじっと見てみた。60うん歳を生きてきた男の手である。それほどまだくたびれてはいないが、生命線と感情線は長く, 頭脳線が短くやや下向きでロマンチストなのはいいが、運命線がはっきりしていないのが少し気になる。

ここでは手相占いを語るコーナーではなかった、本来の話題に戻しましょう。写真を撮るときに一番気を使うのはバックの扱いです。テーマとなる被写体にとって一番ぴったり合うバックは何かを考えます。被写体は背景によって生きも死にもするのです。テーマは「私の手のひら」です。自分の今の生活の中で一番関わりが多いのは、やはりパソコンでしょう。日常の多くの時間をパソコンとともに過ごしている。・・・・・と言う訳でバックにパソコンのディスプレイを選んだのは当然と言えば当然。電源の入っていない黒い画面を前に手のひらを強調してみました。親指を除いた左手4本の指先のタコはキーボードの叩き過ぎではなく趣味のギターの日々の練習の跡。40数年間ずっと薬指に指したままのプラチナの結婚指輪も人生を語ります。まあ平凡な人生ですが。(2010・8・15)


写真を撮るのは「お天気の良い日」と決めている人はいないだろうか。もちろん被写体にもよるけれど、花や植物など静物はむしろカンカン照りの日よりも小雨の日のほうが美しく撮れるものだ。異常だった猛暑の夏も終わって、やっと秋らしくさわやかな朝を迎えた10月のある日、久しぶりの雨で庭がイキイキと潤っていた。我が家で迎える紅葉の一番手は庭の柿の葉っぱです。紅葉した柿の葉っぱを見ていつも思うのですが、「どうして自然はこんなにも美しいのだろう」と。雨に濡れて一段と美しい柿の葉の落ち葉についレンズを向けてしまうのです。
黄色をベースに赤や橙色、グリーンがまだら模様に、実にバランスよく配置されている。しかも、どの葉っぱも模様が違うのです。私が描いてもこんなに美しい模様は描けないでしょう、自然の織りなす模様の妙です。

そういえば、ゆうべ風が強かったのか、朝起きて新聞受けに新聞を取りに行ったら、玄関先に落ち葉がたくさん吹き溜まり状態になっていました。朝ごはん前に落ち葉を片づけようと箒で掃こうとしました。しかし雨にぬれて箒で掃いてもまとわりついて始末に悪いのです。仕方がないので手でつまんでかたづけました。定年後の亭主のことをよく「濡れ落ち葉」と言いますが、まさにこの状態をいうのだと納得しました。私も何とか濡れ落ち葉にはならないように努力しようと思います。(2010・10・10)


写真を撮るには、何も難しく考えることはない。ふだんの日常の中で、「きれいだな!」「面白いな!」「記念に撮っておこう」・・・など、動機は何でもいいのだ。我が家の庭に季節ごとに咲く花を記念に撮り続けている。今年もピンクのシャクヤクがきれいに咲いた。玄関の花瓶に差して飾った。どういうわけか、うちのかみさんはボタンとシャクヤクが大好きである。ボタンもシャクヤクも大輪で美しいが、花の命が短い。咲き始めたと思ったらすぐに満開になり、2、3日でたくさんの花びらがバラバラと散ってしまう。そのはかなさが、桜の花と同じように日本人のこころをくすぐるのだろうか。もうこのボタンもシャクヤクもわが家の庭で10年くらい前から毎年咲き続けている。

そういえば大震災に遭った東日本の桜の木は、今年も見事に花を咲かせたという。津波に流された瓦礫の下の泥の土からはタンポポの花が咲きだしたという。自然界の植物の生命力の強さには驚きます。わが家のノボタンの木も、台風のたびに枝が途中から何本か折れてしまいます。折れたところを切り戻して株を少し剪定すると、また下から若い芽がたくさん出てきて元通りの見事な枝ぶりになり、紫色の美しい花をいっぱい咲かせます。人間も悪い所を切り取ったら、また新しい健康な芽が出てきて、いつまでも元気でいれたらいいのだが。(2011・5・15)


花と昆虫は好きな被写体で、つい自然にカメラを向けてしまう。セミの羽化は夏によく見かけるが、バッタの羽化を見るのは珍しい。たまたま我が家の庭の花を見ていたら見つけてしまった。脱皮の真っ最中ではなくて残念だったが、それでも珍しい光景なので写してみた。もう夕方の4時半過ぎで暗くなりかけで光量不足だったが、手持ち撮影、接写モードでF3.5、20分の1秒のシャッターが切れた。接写はピントをしっかり合わせることが大切で、被写体にピントが合っていないと何の価値もない。ピントが合っていても、手ブレを起こしては、やはりブレた写真になってしまい、一番気を使うところだ。接写の場合は少しの風でも被写体が揺れていてブレてしまう。デジカメは何回もシャッターを切って、その中からベストショットを選択すればよいので便利である。悪条件の元では一発でベストの写真を撮るのはプロでも難しい。

光量不足にはストロボを使うのは常識だが、私の場合は報道写真ではないので、ほとんどの被写体で基本的に自然光で撮ることを心掛けている。ストロボを使うとどうしても画像に不自然なコントラストや陰影が生じて自然な雰囲気がなくなってしまう。ましてや接写の場合は特にその傾向が強く出る。翌朝もう一度見たら、バッタは既にどこへ行ってしまったのかいなかった。白い抜け殻だけが残っていた。近ごろは、こうした自然の昆虫がすっかり少なくなってしまったのがさびしい。(2011・10・16)