アンドレの「デジタルつれづれ草」107段

“早すぎた友人の旅立ち”


香典返しに添えられたクロさんの遺作と なった絵

最近は年齢のせいか、朝起きて新聞を開い て先ず訃報の欄を見るのが習慣になってい る。9月26日の朝刊を見て一瞬目を疑っ た。親友のクロさんの名前が載っていたの だ。名前も住所も年齢も確かにクロさんで ある。「おーい!おかあさん!クロさんが 死んじゃったよ!」。ビックリしてかみさ んに報告したら、「えっ?うそー!」と、 またビックリした。直ぐに友達のT君に電 話したら、「えっ!ほんとかー?」と、ま だ新聞を見ていなかったらしく、やはり ビックリしていた。

クロさんとは高校は違ったが一緒に会社に 入社した同期の仲間である。4年間同じ職 場で仕事も遊びも一緒だった。山に行った り、スキーに行ったり、キャンプに行った り、テニスをやったり、恋愛談義をした り、いつも一緒だった。その後転勤でそれ ぞれ職場はばらばらになったが、時々は 会ったりもした。年賀状のやり取りはずっ と続いていた。彼は高校時代は美術部で あった。絵や版画が得意だった。今年の正 月も彼のセンスある自作の版画の年賀状が 届いた。お互いに定年になって、そろそろ また会って、ゆっくり話でもしたいものだ と思っていた矢先のことである。

少し前にタバコを吸いすぎて肺を悪くした という話は聞いていたが、彼がそんなに健 康を害していたことは全く知らなかった。 結局肺癌だったという。通夜の日に、奥さ んが「驚かせてごめんなさいね」と私に 言った。その晩、可愛らしいお孫さん3人 に囲まれていたのが、彼の晩年の幸せを伺 わせて、私は少しほっとした。葬儀の日の 香典返しに、彼の自作の花の絵の挿絵が入 れてあった。絵の日付を見たら「18・9・ 1」とあった。亡くなる3週間前である。 最後の力を振り絞ってこの絵を描いたので あろう。49日も終った11月のある日、 奥さんにこの絵のことが気になっていたの で尋ねて見た。

自宅を新築した時、自分のアトリエを兼ね た部屋を作ったのに、絵が得意な割りに は、普段余りその自分の部屋で絵を描いて いなかったという。クロさんの、絵に対す るこだわりが邪魔していたのかもしれな い。絵の遺作としてはたった1冊のスケッ チブックしか作品が残されていなかったそ うである。自分の運命を悟ったのであろう か、8月も終わりのある日、ある人の絵に 感動して、急に絵が描きたくなって描き始 めたという。そして、「疲れた!疲れた !」といいながら、全身の力を振り絞って 1枚の絵が完成した。平成18年9月1日のこ とである。亡くなる2日前に、この絵をプ リントして自分の葬儀の日にみんなにあげ て欲しいと、奥さんに頼んだという。自分 の葬儀を自分で演出したのである。何と素 晴しいことだろう。

最近は統計的には、50歳を過ぎたら2人 に1人は癌になるそうである。夫婦ならど ちらかが癌になるということである。2ヶ 月の間にクロさんともう一人同期の友人が 同じ肺癌で亡くなった。癌は現代人の当た り前の病気になってしまった。癌を本人に 告知すべきかどうか、という議論がある が、今は癌に対する知識は誰にでもあるの で、隠すことは難しいし。むしろ正しい治 療をする為には、本人に告知してしっかり した治療をすべきである。・・・とは云っ ても、まだまだ不治の病である。なかなか 難しい問題だ。告知するにも本人の性格や 意思次第だろう。

ある人がこんなことを言っている。「私た ちは癌という病気をやたらと恐れている。 しかし、脳内出血やくも膜下出血などで、 突然意識不明のまま死んだりするよりは、 ある程度の時間を掛けてゆっくり自分の結 末を迎える事が出来る癌などという病気 は、ある意味では幸運な病気だと言う気が しないでもない。その間に真剣に自分の人 生を振り返ったり、反省したり、確かめる ことができる。」と。・・・・確かに、癌 にでもならないと、真剣に自分の人生の結 末を考えたりはしないかもしれない。

そうは言っても、自分がもし癌を宣告さ れ、余命何か月と云われたら、冷静に自分の 人生の後始末を考えることができるか疑問 である。自分の最後は自分では決められな い。神様が決めることである。ただ、いつ その時が来てもいいように、せめて悔いの ないように毎日を生きることを心掛けたい ものである。今年も間もなくクリスマスで ある。夜空を仰いだらたくさんの星が輝い ていた。あの中にクロさんの星もあるのだ ろうか。クロさんのご冥福をお祈りしま す。(2006.12.23)

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