アンドレの「デジタルつれづれ草」105段

“濡れ落ち葉の悲哀”


信州清里“萌木の里”にて(2006。11.10)

秋はどこかもの悲しい季節である。一枚、 また一枚と枯葉が舞い落ちる。そんな落ち 葉に自分の人生を重ね合わせてセンチメン タルになっている人もいるかもしれない。 落ち葉も風に舞っているうちはいいかもし れないが、雨でも降って濡れた落ち葉は、 べたべたとまとわりついて始末に悪い。雑 踏に踏まれゆく落ち葉の姿は余りにも悲し い。ほんの少し前までは木の上で赤く紅葉 して、みんなに“奇麗だね”と愛された時 があったのに、今では見向きもされずに逆 に邪魔もの扱いである。

燃え尽きる前のろうそくの一瞬のきらめき のように、真っ赤に染まる紅葉もまた命の 炎を燃やし尽くそうとしている。葉の一生 の最後を鮮やかに彩る紅葉には、いったい どんなドラマが隠されているのだろうか。 それにしても緑の葉っぱが、あんなに鮮や かな赤色になるのは不思議である。植物に とって葉っぱは光合成を行う重要な器官で ある。光合成とは、太陽エネルギーを利用 して二酸化炭素と水から植物が生きていく 為の糖分を作り出す生命活動のことであ る。光合成は葉っぱの中の葉緑素によって 行われる。葉っぱが緑色をしているのは、 この葉緑素が緑色だからである。葉緑素は 根から葉に運ばれた水を原料に、せっせと 糖分を作り出し、出来上がった糖分は葉か ら茎へと運ばれる。葉っぱは植物にとって 糖分の生産工場のようなものである。

植物の葉は、特に夏場が忙しい。工場の動 力である太陽エネルギーはふんだんにあ る。根から送られてきた水を原料に生産工 場はフル稼働で糖分を作り出す。ところ が、好景気はいつまでも続かない。やがて 暑い夏は終わりを告げ、いつしか涼しい秋 風が吹き始めるのだ。日差しは日に日に弱 くなり、昼の時間も短くなる。夏の炎天が ウソのように太陽エネルギーが不足する。 気温の冷え込みは光合成の効率も低下さ せ、生産の減少に拍車をかける。気温は回 復の兆しも見えず、生産性は低下の一途、 ついに葉の生産工場は赤字収支に転落して いく。

生産性は落ちているのに、葉の維持コスト は同じように掛かる。それどころか、葉か ら水分が蒸発して貴重な水分を浪費する。 完全なお荷物の存在になってしまったので ある。出された結論はリストラである。植 物にとって長引く冬の時代を耐える為に は、貴重な栄養分や水分の浪費は僅かで あっても許されない。かくして生産工場と しての価値を失った葉っぱは、閉鎖の憂き 目から逃れなくなってしまうのである。

葉っぱにあった目ぼしいタンパク質はアミ ノ酸に分解され、木の幹に回収されてしま う。今日か明日かと覚悟はしていたが、そ の時はある日突然訪れる。葉の付け根に 「離層」という、水分や栄養分を通さない 層を作ってしまうのだ。これまで頑張って きた葉にとって、なんと冷たい言葉なのだ ろう。もはや水分も栄養分も葉に供給され ることはない。本社からの原料供給や資金 の支給をストップしてしまったのだ。どこ か「リストラ」という響きに似ていて切な い。いらなくなった葉っぱはコスト削減の 名の下に、簡単に切り捨てられてしまうの だ。

ところが、葉の生産工場は、どこまでも健 気である。水分と栄養分の供給が立たれて いるのに、限られた手持ちの水分と栄養分 を使って光合成を続けていく。勿論どんな に頑張っても作られた糖分が茎に送られる ことはない。茎と葉の間は離層という厚い 壁によって遮られているのだ。行く場を 失った糖分は、やがてアントシアンという 赤い色素に姿を変えていく。アントシアン は植物のストレスを和らげる働きがあるこ とが知られているが、人間の世界だけでは なく、植物もさまざまな環境によるストレ スを受けているのだ。

離層を作られた後も光合成を続けた葉の中 の葉緑素は、やがて低温によって壊れてい く。今まで葉を緑色に保っていた葉緑素が 失われることによって、葉に溜まっていた アントシアンの赤い色素が目立つようにな る。人々が赤々と色づく紅葉を見て、 「葉っぱが色づいてきたね」と秋の深まり を感じる紅葉の赤は、本社に切り捨てられ た後に必死の思いで作られたアントシアン という遺産の色である。夏の間、あんなに 働いて栄養分を稼いだ末のリストラ。「こ んなに働いたのに見捨てるのか」。そんな 思いが強ければ強いほど、紅葉はその色を 赤くするのである。(2006.11.24)

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