アンドレの「デジタルつれづれ草」103段

“どうしても理解できない「動く歩道」の 必要性”


そこに動く歩道があるから使っているだけか?

世の中どんどん便利になって、それに慣ら されて当たり前になっていく。 昔、テレビにリモコンがついたとき、「ほ んの1〜2メートル動けばいいものを、こ んなもの必要か?」と思った。今ではソ ファーに座ったままチャンネル操作ができ る便利さに慣らされて、1〜2メートルの 移動もおっくうになっている。テーブルの 上にはテレビ、エアコン、扇風機、ビデ オ、中には居間のシャンデリアの光量調節 用のリモコンもあったりして、どれがどの リモコンなのか分からない状態のお宅もあ るかもしれない。

電話は昔はどのお宅も必ず玄関にあって、 電話が鳴ると玄関まで跳んでいったもの だ。もっと昔は、近所の”おだい様”(懐 かしい言葉です)の家にしか電話がなく て、よく借りに行ったものである。もっと も、こんな時代を知っているのも我々の年 代までである。そんな電話も今ではコード レスになって、トイレの中でも、風呂の中 でも、家のどこに居ても話ができる。携帯 電話が普及し始めた時は、「どこにいても 電話が掛かってきてうるさいだけだ」、と 思ったが、今では携帯電話を持っていない と、「急に大事な用事ができたらどうしよ う」と不安になってしまう。

話は少し違うが、アクトに「動く歩道」と いうものがある。東京の恵比寿駅には、 もっと長い「動く歩道」がある。見ている と、90%の人は動く歩道を利用してい る。10%の人は横の通路を歩いていく。 しかもみんな動く歩道の上を更に歩いてい く。いや、動く歩道の上を更に歩かざるを 得ないのだ。アクトの動く歩道は幅が狭い から歩かないと後ろから来た人の邪魔に なってしまうのである。ところが横の通路 を歩く人と、動く歩道を利用する人でどれ だけ移動時間が短縮されるか見ていると、 ほんの10数秒、1分とは違わない。みん な数秒を争うほど忙しいのか? しかし、恵比寿へ行った時は歩き疲れてい たこともあって、あの長い動く歩道で楽を したことは確かではあった。

ネットで調べたら動く歩道の開発目的、特 徴としてこんなことが書いてあった。「踏 み台が平らであることにより、エスカレー タやエレベータにはない多くの利点を持っ ている。まず、エスカレータと違いショッ ピングカートやベビーカー、車椅子、大型 のスーツケースなどを乗せて容易に移動で きる。しかも、エレベータのように待つ必 要がなく、より多くの利用者が利用でき る。踏み台に段差がないことから、乗り降 りが容易でつまずく心配も少なく、高齢者 や子どもなど、足元の不確かな利用者に とっても親切である。角度が緩やかである 為恐怖感が少なく、足を踏み外す危険性も ない。・・・・但し設備の終点では慣性に より前に投げ出されることになり、高齢者 や障害者には注意が必要である。」・・・ ・。

高齢者や子どもにも親切だと言っておきな がら、注意が必要だと書かれている。動く 歩道はお年寄りや障害者の為かというと、 全くその反対である。彼らにとってはとて も危険で使用できるものではない。しか も、アクトの場合は動く歩道に行くまでの 階段にエスカレータもエレベータもないの である。福祉の目的でもないこんなもの を、いったい誰が何の目的で作ったのか、 単なる話題性が目的だったとしか思えな い。未だに私には理解できないのである。 しかし、動く歩道の歴史は古く、日本で最 初に設置されたのは、1967年、大阪の 阪急梅田駅だそうである。

どうせ動く歩道を作るなら、市内の中心街 の歩道を全て動く歩道にしてしまったらさ ぞかし便利に違いない。浜松も中心街活性 化が叫ばれて久しいが、ギネスブックに載 るくらいに徹底してやれば話題性は満点で ある。「浜松駅を降りたら半径500メー トル以内は立っているだけで何処へでも移 動できます」・・・。のキャッチフレーズ で全国から観光客がやってくる。・・・と 言う話は、現実性のない私の勝手な思い付 きである。

理解できないもののもう一つに、ホテルの 玄関などにある回転トビラがある。一昨年 前だったか、東京の六本木ヒルズで子ども が死亡事故を起こして問題になった。この 事故以来回転トビラを使用禁止にしてし まったところや撤去してしまった所も多い と聞く。これなどもお年寄りや障害者、子 どもには危険極まりない代物でしかない。 単なる話題性を目的としただけなら、開発 の動機が不純でいただけない。設備費用 だって相当掛かっているはずだ。しかし、 この回転扉の歴史も古く、100年も前に ヨーロッパで作られている。

世の中、次から次に便利なものができて慣 らされていく。ただ目新しさに惑わされ て、現代人はほんとにそれが必要な物かど うかも判断がつかなくなっている。文明の 進歩がほんとに人間の幸せになっているの か。必要以上の進歩は逆に人間を不幸にし てしまってはいないか。最近はあらゆるも のの技術進歩のテンポが速すぎて、10年 先、20年先の人間の生活がどうなってい るのか想像もつかない。縄文時代とは言わ ないが、できることなら、もう一度人間社 会を100年前に戻して、ゆっくりやり直 して見たらどうかと思ったりする。<(2006・10・27)/p>

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