アンドレの「デジタルつれづれ草」101段

“敬老の日に考える”


今年の敬老会でのスナップ・・・前でギ ターを弾いているのが私。

今年も敬老の日がやってきた。先々週の三 連休には各自治会などで敬老会が行なわれ たことでしょう。自治会の役員をやってい るときにつくづく思いました。「敬老の 日」とはいったいどんな日なのだろうか ?。準備する役員もみんなほとんど敬老の 人、当日の敬老会の会場は客席は当たり前 だが、舞台で余興をやる人もみんな敬老の 人である。「敬老の日」をWeb百科事典 で調べると、「多年にわたり社会に尽くし てきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを 趣旨とする、とある。1947年に兵庫県 の野間谷村で始まり、その後兵庫県全体で 広まったあと、1966年に国民の祝日と なって全国的な行事になった。母の日とは 違って日本独自の行事なので諸外国にはな い。・・・と書いてあった。

私は自治会の役員も2年前に退任し、別に まだ招待状をいただく年齢ではないが、敬 老の日の行事には毎年出席させていただい ている。地元高齢者のための、“いつまで も元気でイキイキと暮らそう!”という趣 旨の活動を毎月主催して満3年を過ぎた。 私の母親、父親の年齢ほどのお年寄りが、 敬老会の日の舞台で音楽を演奏するのを指 導しているからである。当初14〜5人ほ どだった参加者が、新しい参加者が少しず つ増えて今では30人ほどになった。舞台 に乗り切れないほどである。嬉しい事であ る。私の定年後のライフワークの一つが形 になって実り始めてきた。これも「継続は 力」である。

私の地元の自治会では、今年の敬老の日の 対象者は680人であった。総世帯数14 32世帯なので、単純計算で2軒に1軒は 老人世帯と言うことになる。全員出席され ると公民館の集会室に入りきれないので心 配だったが、出席を希望した人は170人 ほどだった。しかも今年の対象者は71歳 以上だそうだ。今までどおり70歳以上を 対象にすればもっと多くなる。市も予算の 関係からか、余りにも老人が増えたので年 齢を繰り上げてきた。この分だと私が敬老 の日に招待される時には80歳以上が対象 になっているかもしれない。もしかして長 生きするのは当たり前になって敬老会も廃 止されているかもしれない。

総務省の発表では、今年9月15日現在の 65歳以上の高齢者は2640万人、総人 口の20・7%に達したそうだ。欧米諸国 でも20%を越えている国はない。赤ちゃ んを含めて5人に1人が高齢者と言うこと である。年金をもらって余生をのんびり暮 らすなどということが、物理的に困難な時 代がやってくることは間違いないだろう。 今のうちから心しておく必要がある。

現代は定年後の人生が20年、30年の時 代になった。余生をのんびり過ごすには余 りにも長すぎる時間である。しかも核家族 化で、今までの「老いては子に従い」の時 代でもなくなった。昔なら60歳は立派な 老人で、「長い間ご苦労様でした」と言っ て、赤いちゃんちゃんこを羽織って孫のお 守りをしていれば良かったが、今の時代は まだ20年早い気がする。高齢者がいかに 自立して死ぬまで元気で暮らすことが出来 るか、と言うことが必要条件となってき た。つまり、長生きしても寝込んでいては 意味がない。自分のことは自分で何でも出 来てこそ長生きの意味がある。

2007年から2010年にかけて、団塊 の世代と言われる人たち約300万人が全 国で一斉に停年退職を迎える。いわゆる2 007年問題が昨年あたりからクローズ アップされている。年金を払う人がどんど ん減って、年金をもらう人がどんどん増え る。2015年には4人に1人が65歳以 上になると予想されている。加えて社会的 情勢や若者達の就業意識の変化で正社員が 減って、パートや派遣社員の増加、全く仕 事に就かないニートの増加、少子化でこれ からの日本を背負っていくべき人口の先細 り減少が気に掛かる。

私1人が気を揉んでも仕方が無いが、社会 の仕組みを根本的に見直して変えていかな いと対応できなくなる気がする。我々自身 の意識も変えていかないといけない。高齢 者問題は私のライフワークのメインテーマ でもある。問題山済みの日本の高齢者のこ れからのより良い生き方を考えていきた い。


前回の100段達成のお祝いメッセージを たくさんいただきました。お一人お一人に お礼をするべきところ時間がなく、できな くて申し訳ありません。この段をお借りし て皆様にお礼を申し上げます。これを励み にもう少し頑張ろうと思います。ほんとに ありがとうございました。(2006・9・29)

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