アンドレの「デジタルつれづれ草」100段

“おかげで「デジタルつれづれ草」が10 0段に”

おかげで「デジタルつれづれ草」が100 段の大台を迎えることが出来ました。振り 返れば平成16年1月から毎週末に書き続 けて、平成17年からは隔週になったけれ ど、今日まで1回も休むことなく続けるこ とができた。デジタルつれづれ草の前に、 平成15年に「デジカメで気ままにエッセ イ」を1年間書いているので、かれこれ4 年間も続いていることになる。我ながらよ く続いていると思っている。

一応自分ではエッセイのつもりで書いてい る。エッセイを辞書で引くと、「随筆と同 じ、自由な形式で書かれた思索的な色彩の 濃い散文」とある。英語でエッセイ(es say)、フランス語ではエッセー(es sai)である。題材も花鳥風月、身辺雑 記、社会時評、芸能・スポーツ、科学、旅 行・・・・など、あらゆる分野にわたる。 つまり何でも題材になると言うことであ る。日本では古くは清少納言の「枕の草 子」、鴨長明の「方丈記」、吉田兼好の 「徒然草」が有名である。

エッセイの条件として欠かせないのは、 「自由な形式で気軽に、自分の意見や心 境、感想などを述べたもので制約がないこ と」である。しかも、「文は人なり」と言 う言葉がある通り、書いた人の人柄がにじ み出ている、「この人でなければ書けない もの」、がエッセイの本質ではないかと思 う。これは、個性を出してはいけない新聞 などの報道の文章とは根本的に異なってい る。

もう一つ大切なことは、エッセイが小説な どと異なる点は、真実を書くということで ある。これはなかなか難しいが、少なくと も「ウソ」は書かないと言うことである。 「ウソ」でないものを書く為の条件は、自 分の目で「しか」と見たもの、自分の耳、 鼻、手で音やにおいや手触りを実際に感覚 を確かめた上で書くということである。自 分の体が知っていること、知覚したことは 「ウソ」でないものの一つである。頭も悪 く、文才もない私などは、想像で文章を書 くなどということは到底できないが、事実 をありのまま書くのなら何とか書ける。

私がエッセイを書くときに気をつけている ことは、「できるだけ話題がタイムリーで ある」と言うことだ。話題が新鮮なほど読 者の心を惹きつける。しかし、タイムリー な話題を書くためには、時には新聞記者並 みのスピードが要求される。常に時事の話 題や出来事に関心を持っていることが大切 である。毎日の新聞の記事は隅までよく読 むようにしている。図書館通いも習慣に なった。そして気になったテーマや話題が 見つかった時に書き貯めておく。常に3〜 4回分のエッセイがストックされている。 その中からテーマが季節的に話題的にタイ ムリーと思われるものを順次発表してい る。

せっかく書いたテーマが発表の機会を失っ て没になることもある。あるとき何時間も 掛かって下書きに書き貯めた3〜4通の エッセイのファイルを、操作を誤って一瞬 にして失ってしまったこともあった。こん な時は頭が真っ白になって呆然となる。気 を取り直して、文章を思い出しながら、再 びコツコツとひたすら書くことになる。資 料も手元になくなって二度と掛けなくなっ たエッセイもあった。バックアップして置 けばよかった、と思っても後の祭りであ る。書いた文章は時々開いては推敲を重ね る。何回も何回も読み直して文章を書き直 したり、細かい「てにをは」などを書き直 したりしている。だから一つのエッセイも 結構時間が掛かっている。時には半年も掛 かって書いエッセイもある。

もう一つ私のエッセイで特徴的なのは、必 ず内容に合った画像を入れるということで ある。画像が先にあって、その絵にまつわ る話を書くこともあるが、文章が先で、文 章の内容に合った画像を後から考える場合 がある。勿論こちらの方が難しい。内容に よってはどんな画像にしようかと随分悩む ことがある。写真で表現が難しいものは、 自分でパソコンで絵を描く。下手な絵も描 いているうちに個性が出てきて、新しい自 分を発見したりして結構楽しい。あるテー マを写真で表現したり、絵で表現すること は大いに画像表現の勉強になる。

エッセイを長く書いていると、どうしても 話題が家族や家庭の中の出来事に触れてし まうことがある。あるエッセイストも同じ ようなことを吐露していた。内容によって は、時にはかみさんと離婚騒動になりかね ないこともあった、と述懐していた。私も 時々書いているので、その内家を追い出さ れるかもしれない。この歳になって家を追 い出されても行くところもないので、内容 には気を使う。熟年離婚の勝者は必ず女性 と決まっている。女性は強いのである。

先月、高校時代の恩師の国語の先生と同級 生を交えて飲む機会があった。私よりちょ うど10歳ほど年上だが、相変わらず若々 しく、今では同級生のように付き合うこと ができる。作文の苦手だった私が今では文 章を書いて楽しんでいることを話した。今 までの作品を読んでいただこうとCDに焼 いて差し上げた。「やっと何とか文章が書 けるようになりました。今一番苦労してい るのは、句読点をどこに入れるか、という ことです」と話したら、句読点で悩むよう になったら、文章書きも一人前になった証 拠だよ」と誉められた。

さて、100段を記念して私のエッセイの 裏話を披露しましたが、こんな拙い文章を 4年間も読んでくださっている150名余 りのアンドレメイトの皆様に心より感謝申 し上げます。「継続は力なり」「人生は習 慣である」は、私の大好きな言葉です。今 では私のライフワークになった「デジタル つれづれ草」を、もうしばらくご愛読して 下さることを願いつつ、筆を、いや!キー ボードの手を休めることとします。(2006・9・15)

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