アンドレの「デジタルつれづれ草」99段

“水に学ぶ人間の生き方”


「冷たくて気持ち-い!」・・・水と戯れ る女の子 (浜名湖ガーデンパークにて)

水は物理学的には水素と酸素の化合物で、 純粋な水は無色透明、無味無臭、普通の温 度では液体だが、1気圧では摂氏99.9 74度で沸騰し、零度で氷結する。物質は 冷却すると収縮する。水も冷却すると摂氏 4度まではその体積は収縮するが、摂氏4 度を堺に、それ以下になると逆に膨張し始 める性質を持っている。摂氏4度の時、水 の重さは1立方メートル当たり1グラム。摂 氏〇度になって氷になってからも膨張しつ づけ、液体の時の体積の10分の1が増加す る。その膨張力は想像以上で、冬に水道管 が破裂することがあるほどである。

ところで、生水が飲めるのは世界中で日本 ぐらいでしょう。その日本も最近の都会で は水道の水はまずくて生で飲む気はしな い。台所の水道の蛇口に浄水器を取り付け ているお宅も多いだろう。我が家も健康を 気遣って取り付けてあるが、カルキの臭い が消えて、お茶や料理が美味しいような気 がする。それでも世界の他の国から見れば 羨ましいほど新鮮な水が豊富である。そん な日本には昔から水にまつわる言葉が驚く ほど多い。 「揺れる水、光る水、沁みる水、走る水、 伝う水、映す水、はしゃぐ水、ささやく 水、踊る水、水に流す、水いらず、水かけ 論、水くさい、水をさす、水をあける、水 を向ける、・・・・」日本の文化が水を意 識してきた証拠である。

しかし、日本に限らず地球上いたるとこ ろ、生物全般に渡って水との係わりは大き い。水なくして地球は存在しないし、生物 すべても生存できない。地球の全面積の7 2%が水で覆われている。動植物の体の7 0%は水で占められている。かつての日本 は湯や水はどこにもたくさんあって、「湯 水」と言うと、<豊富にあるもの>の形容 詞になっていた。一般に金銭を惜しみなく 冗費することを“湯水のように使う”とい うが、この言葉は現代では過去の事実に なってしまったと言うべきだろう。 ドイツでは“水なくば命なし”、オランダ やアメリカでは“水は賢く使え”、フィン ランドでは“水は最古の薬”、と言う諺が 古くから伝えられ、今も水は大切に使われ ている。

曹洞宗の開祖、道元禅師は、毎朝仏前に供 える水を寺の近くの大仏川から汲むとき に、最後に杓に汲んだ水の半分を大仏川に 戻したという。豊富な川の水もつつましや かに半杓の水を元の流れに返して、下流の 人に送る行為は、将来の人々に道元が徳を 積んで与えることを意味している。この精 神は茶の湯のお手前にもある。茶釜からお 湯を茶柄杓で汲んで茶碗に注ぐ時、全部を 茶碗に注ぐことなく、必ず若干のお湯を茶 釜に戻す。利休の茶の精神は禅に基づいて いる。茶道に心得のある方ならご存知で しょう。

「半杓の水」の精神は、水ばかりでなく、 山の山菜取りの時も根こそぎ木の芽や葉を むしりとるのではなく、必ず翌年も木や草 花が成長するように芽や葉を残します。し かし、都会から来た人は、往々にして枝ご と折ったり、根こそぎ掘ってしまう人がい るので、木がすっかり痛んで枯死してしま うと、地元の人は嘆きます。私も春になる と山にタラの芽を摘みに行くことがある が、高枝バサミの様なもので枝ごと切って しまった木をよく見かける。これでは翌年 に新しい芽が生えないし、やがて枯死して しまうことが多い。来年もまた楽しむこと ができなくなる、ということが分からない のだろうか、誠に残念である。

最近は「自分だけよければいい」という間 違った自由主義、個人主義が大人社会にも 蔓延している。大人がこれでは、子どもに 正しい人間の生き方を教えることなど到底 できるわけがない。私のセカンドライフの 人生テーマである「心の健康」問題は、先 ず大人から教育し直す必要があるように思 う。最後につい、いつもの年寄りの愚痴が 出てしまった。

※今日は久し振りに朝から雨が降って、読 書をしたり、パソコンでテキスト作りをし たりして、のんびり一日を過ごしました。 庭木も潤ってイキイキとしました。このま ま涼しくなるとは思わないが、9月に入っ たとたんに、涼しく過ごしやすい一日でし た。(2006・9・1)

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