アンドレの「デジタルつれづれ草」93段

“今と昔、デジタルとアナログ”

若い時は、過ぎ去ってしまった過去を振り 返る歴史や古典は余り好きではなかった。 希望に充ちた将来や未来のほうがずっと興 味があった。しかし、人生も遥かに折り返 し点を過ぎて、未来より過去の方が長く なってしまった現在では、いつの間にか古 いものや過去を振り返る方に目が向いてい た。古い建物や古木、古典文学や歴史など が好きになっていた。吉田兼好の「徒然 草」を読んでこのエッセイを始めるきっか けになった。学校の同窓会で旧友に会うの が楽しみになるのも同じような気持ちかも しれない。

5月の,朝から1日中雨が降っていた、ある 土曜日午前、散らかし放題の自分の部屋を 久し振りに片付けていたら、埃まみれに なっていたアナログのレコードプレーヤー に目が留まった。上に乗っていた楽譜をの けて埃を払った。もう10年近く使ってい ない気がする。ちょうどCDプレーヤーが 壊れてしばらくCDも聞いていなかったの で、果たして動くだろうかと、半信半疑で コンセントを入れてLPレコードを掛けて 見たのだ。

何と30数年前のLPレコードのアンドレ ス・セゴビアのギターの音色が久し振りに スピーカーから流れてきた。プレーヤーは 10年振りにもかかわらず全く問題もなく 回ってくれた。時折ザー、ザーという音が 懐かしい。当時としてはアナログプレー ヤーの最新型だったので、レコードの針は 自動でレコードの盤にセットされる。しか し、表面(おもてめん)が終ると手動で裏 面にしないといけない。これもまた楽しか らずや、である。CDよりアナログレコー ドのほうが音が柔らかくて温かみがある。 演奏者の手の温もりまで感じるような気が する。

ある大型電気店のオーディオコーナーに 行ったら、まだDENON(大手オーディ オメーカー)のアナログ・レコードプレー ヤーが展示してあった。相変わらず根強い アナログ愛好家がいると言うことである。 それはそうである。長いアナログレコード の時代が続いて、世の中には大勢のオー ディオマニアが膨大な量のLPレコードを 保有しているのである。いくらデジタル時 代になったからといって、そう簡単に全面 的にCDに切り替える訳にはいかないので ある。

例えるなら、デジタルはプラスチックやナ イロン。一方アナログは木や木綿の感覚で ある。どちらが優れていてどちらが劣って いるということではないが、アナログのほ うが、より人間的な温かみを感じることだ けは確かである。レコードはもうかなり昔 からデジタル化され、カメラも2006年 からデジタル全盛時代になってしまった。 テレビも2011年から全面的にデジタル 放送になるそうである。我が家のテレビの ビデオデッキも2〜3年前から壊れていて 使えないが、買い換えるにしてもDVD時 代になってしまった今、テレビもいずれデ ジタルに変えないといけないだろうからと 思案中である。たくさん溜まったビデオ テープはもう宝の持ち腐れである。最もこ こ2〜3年テレビの娯楽番組はほとんど見 る時間がないのでビデオも必要がなくなっ た。

デジタル音とアナログ音の違いは、デジタ ル音には「0」か「1」の音、中間の余分 な音がないクリアーな音である。最近の技 術では人間の耳には聞こえない周波数の音 はカットして容量を小さくしている。一方 アナログ音は中間の微妙な音や人間の耳に は聞こえない周波数の音もちゃんと入って いる。この中間音や聞こえていない音が、 実際には微妙に人間の耳にと言うか、聴覚 に影響している気がする。所詮生演奏の音 には敵わないが、LPレコードのアナログ 音がなぜか人間の耳に暖かく感じるのはそ ういう理由からだろうか。・・・「聞こえ ない音=必要のない音」・・・という考え 方はいささか短絡すぎる。

実は耳には聞えていない音も人間の聴覚は 感じているのである。それが証拠に、録音 した自分の声が普段喋っている時の自分の 声と随分違うと感じる筈である。喋ってい る時の自分の声は、耳から聞こえる音の外 に骨を伝わって聞いているのである。これ をボーン・コンダクション(骨伝導)とい う。楽器の演奏者は、楽器の音を耳からと は別に、楽器と密着した体から骨を伝わっ て聞いている。観客が客席で聞いている音 とは違うのだ。アナルグの音はこうした微 妙な音の重なりなのである。ボーンコンダ クションを利用したオーディオ製品や最近 では携帯電話もある。

何でも昔は良かったとは言わないが、最近 人間の心もデジタル化して来ているのが気 になる。物事を簡単に二者択一で判断して しまう。YESかNO、好きか嫌い。自分 の意にそぐわないものは抹殺する。つまり 心に「ゆとり」がなくなっているのだ。多 少のことは我慢する、或いは許してあげ る、譲歩する、という「心の遊び」がなく なっている。「心の健康」を失なった人間 が多くなっている。最近は、何かと言うと 簡単に人の命を奪ってしまう。なんとも恐 ろしい世の中になったものだと思っている のは私だけではないはずだ。(2006・6・9)

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