アンドレの「デジタルつれづれ草」87段

“四国八十八ヶ所巡りが一度に出来てしま う有り難い処”

前日、恒例の「さなるふれあいコンサー ト」の音楽活動も無事終った3月5日は、 久し振りに予定のない日曜日、快晴、無 風、ぽかぽか暖かい絶好の行楽日和であっ た。かみさんは昨日から友達と北陸へ一泊 旅行に行って留守である。何をして過ごし ても自由である。庭の雑草も青々としてき たので草取りもしないといけないが、こん な絶好の日和に草取りをしていてはもった いない。

昨年から気になっていた、豊橋の向山「向 弘苑(こうこうえん)」へ行ってみること にした。ここは市街に向かった崖を利用し て四国八十八ヶ所が作られている。竹林と 木立の中の石仏を拝しながら巡れば四国八 十八ヶ所が一度にお参りできてしまう有り 難いところだという。「そんな素晴しいと ころなら一度は行ってみないと」。気に なったら行って確認しないことには気が済 まない。

愛犬の散歩を済ませて、9時29分発豊橋 行きの電車に乗った。下りの電車に乗るの は久し振りである。何となく遠足気分で楽 しいものだ。ネットの地図検索で見たら、 たしか豊橋駅を降りたら真っ直ぐ東に向 かって行けば向山に行くはずである。知ら ない街をカメラを持って路上観察をしなが らブラブラ歩くのは楽しいものである。私 の健康法の一つでもある。

しばらく歩いて大きな歩道橋の前に来た。 随分立派な歩道橋であった。方向は間違い ないはずだが、地元の人に聞いてみよう と、買い物袋を提げた年配のご婦人2人に 尋ねてみた。「そうそう、これを真っ直ぐ でいいですよ。あの・・・なんだっけ・・ ・アピタがあるからね、そこのすぐ裏だか ら」と教えてくれた。またブラブラと東に 向かって歩いて行った。右手にアピタの大 きな看板が見えた。そのすぐ東に大きな池 のある公園に着いた。向山緑地公園であ る。きっとここに違いないと、ベンチで日 向ぼっこをしていた4,5人の老人グルー プに聞いてみた。

「そんなのここにはないなあ!」「墓地の ほうじゃないか?」と、男の老人2人が、 近所の住人のはずなのによく知らない様 子。・・・「あの!アピタの近くと聞いて きたんだけど」・・・「ああやっぱり墓地 の近くだよ」「あの建物の、あっちのほう だで、そこを真っ直ぐ行けばすぐだよ」・ ・・・建物なんていくらでもあるからどの 建物を指しているのやら、お年寄りの話は 「あの」と「あっち」ばかりでさっぱり要 領を得ない。しかたがないから。適当にお 礼を言って見当をつけて歩き始めた。アピ タの横を西に少し歩いたらそれらしい森の あるところへ着いた。

何やら賑やかで梅が満開の公園に来た。こ こは目的地ではなく、「向山梅園」であっ た。思わぬ光景に出合って、たいそう得を した気分であった。グランド一面ほどの公 園に赤、白、ピンクの色とりどりの梅が一 面に咲いていて、大勢の観光客で賑わって いた。テント張りの売店も出ていた。家族 連れで芝生に陣取ってお弁当を広げてい た。みんなカメラで見事に満開となった梅 の花を撮っていた。勿論私も何カットかを 撮ってきた。一時間ほど梅を堪能して、目 的地である梅園のすぐ隣にあった「向弘 苑」に向かった。

向弘苑には太師堂の他、四国三十三観音、 十二支堂、四国八十八ヶ所、水掛不動、十 三地蔵、大小百五十余りの石仏が堂や境内 のいたるところに安置されていた。やや狭 く雑然としているのは残念だが、市街地の 一角にこのような場所が残されているのは 驚きである。境内の木立やこの緑地から市 街を見下ろす景観もまた一興である。

「向弘苑」は田原藩家中川辺市太(弘化4 年、1847年生)が幼少時代に父母を失 い、維新に遭遇、転々苦難の末流着。妻留 美ともども故郷を望めるこの地に弘法大師 の安置を祈願。それを長子藤太郎(明治3 1年〜昭和42年)が継承し、四国八十 八ヶ所と太師堂を建立した。・・・」とあ る。

特にわざわざ来るほどのこともないところ だったが、気になっていたことが解消でき てすっきりした。また電車に乗って我が家 に着いたのはまだ2時半。お茶で一休みし て、やっぱり庭の草取りを1時間ほどして 夕方の愛犬の散歩で締めくくって、今日の 日中の予定が終了した。(2006・3・11)

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