アンドレの「デジタルつれづれ草」80段

“写真を撮ると心と身体が若返る”

「写真を撮る」と言うことは、「脳の体 操」である。・・・路地で格好の野良猫を 見つけたとしよう。逃げられないように そっと近づいて、レンズの選択、構図、ピ ント、露出を瞬時に決めなければならな い。そして、決定的な瞬間を指先でシャッ ターを押す集中力が必要である。数多くの 情報を素早く判断するスピードと脳の柔軟 性が必要となる。脳は使えば使うほど若返 る。

写真は「こころのビタミン」である。・・ ・写真を撮ると言うことは好きになること である。この純粋に「好き」という感情は 「こころのビタミン」になるための大切な 要素である。私の場合は、カメラをバック に入れて、或いはポケットに入れて「さあ !写真を撮りに行こう」と計画した時、 「次はどこへ行こうか」「どんな写真を撮 ろうか」といったイメージが膨らんで、ワ クワクしてくる。頭の中は快楽ホルモンが どんどん分泌されてくるのである。

これら快楽ホルモンの役割は単に気分を高 揚させるだけでなく、脳を活性化させるた めに非常に重要な神経伝達物質なのであ る。ちなみに難病の一つパーキンソン病は ドーパミンの分泌が停止したり、少なくな ることが原因であると言われている。写真 を撮る喜び、被写体と触れ合う喜び、いい 写真が出来上がったときの喜び、自分の写 真を誰かに褒めて貰ったときの喜び。これ ら全てが、脳を活性化させる「こころのビ タミン」となっているのである。

もう一つ大切なポイントは、「好き」とい う純粋な感情はカメラの腕には関係ないの である。私は才能がないから、高級カメラ を持っていないから、などと決め付けない ことである。写真を愛し、カメラと被写体 を愛し、シャッターを切る自分を愛しま しょう。夢中でボールを追いかける野球少 年のように、もっと純粋な気持ちで写真を 「好き」になってください。

「カメラはスポーツである」・・・ハン ターは獲物を発見し、風向きから障害物ま で様ざまな条件を考慮しながら、細心の注 意力を持ってライフルの狙いを定めます。 まさに露出や構図、ピントなどを計算しな がらレンズを構える行為と同じです。更 に、「ここだ!」という瞬間の判断力で引 き金を引く。これもベストショットを射止 めるためにシャッターを押す瞬間と同じで ある。そして、良い被写体を求めて可なり 歩くことになる。車に乗っていては写真は 撮れない。

ある写真家が言いました。「画家や小説家 には自殺する人がいるけれど、自殺した写 真家は聞いたことがないんだよなあ。僕の 知る限りでは1人だけだよ」・・・・確か にゴッホやヘミングウエイ、芥川龍之介や 太宰治など、自殺と言う悲劇的な最後を遂 げた表現者は少なくない。それに対して苦 悩の末に自殺したと言う写真家の話はあま り聞いたことがない。写真には作家たちの ようなストレスを溜めさせない何かがあ る。それは「写真は自由だ」という「自由 さ」なのかもしれない。・・・・と語って いる。

音楽はある程度基礎を学ばないとできな い。楽譜の読み方、指の動かし方を全く知 らないでピアノは弾けない。絵もデッサン 力がないと描けない。スポーツも同じで、 基礎を知らずして自由奔放にやることは出 来ない。しかし、写真は最近のカメラなら ファインダーを覗いてシヤッターを押せば 誰でも取り合えず自由にそこそこの奇麗な 写真は撮れるのである。もちろん写真の世 界にも奥の深い世界があるが、取り合えず 押せば写るという、間口の広さが魅力であ る。先ずは撮って見る事である。それから 拘ればいいのである。(2005・12・18)

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