アンドレの「デジタルつれづれ草」75段

“アートなビル工事現場”

ビル工事現場

ご存知、鍛治町は旧松菱前の「ヤマハ ミュージック東海・浜松店」のビル改築工 事現場である。最近はビルの工事現場も街 の景観に気を配る姿勢が見られ、美しい絵 が描かれていたりする。このデザインは建 設業者の意向というより、施主の「ヤマハ ミュージック東海」さんの意向だろう。さ すがに世界のヤマハである。デザインがと ても洒落ている。来年3月にはリニューア ル・オープンされるそうで、音楽ファンの 私としては大いに楽しみである。コンサー トホールも立派にできるそうだから、仲間 で演奏会を計画するのが今から楽しみであ る。

別に企業の宣伝をするつもりはないが、そ の昔、日本楽器の時代から私にはこの会社 とは大いに親しんできた記憶がある。終戦 後、戦争未亡人のおばさん(母の姉)が中 沢町の日本楽器本社の用務員を永年勤めて いた関係で、小学校の頃は本社の敷地内 を、よく走り回って遊んだものである。そ のことが原因かどうか知らないが、次第に 音楽に興味を持つようになった。

中学3年の時、何か楽器を習いたくなっ た。その時思いついたのはクラリネットと ギターだった。クラリネットは当時可なり 高価な楽器で、とても親にねだることのが できるしろ物ではなかった。ギターは当時 3,000円ほど、これなら何とか買って もらえる額だったので、おばさんに頼んで 安く手に入れてもらった。いわゆる社員割 引である。今から50年近くも昔の話であ る。それから私のギター人生が始まり現在 に至っている。「好きこそものの上手な れ」で、独学で簡単な曲は弾けるように なった。

社会人になってからは、本格的にギター教 室に通い、個人レッスンを受けるように なった。この頃になるともう少し高級なギ ターが欲しくなって、毎日のようにヤマハ 浜松支店のショールームのウインドウに飾 られている輸入ギターを眺めては溜息をつ いていた。余り毎日来ては眺めているの で、可愛そうに思ったのか、店長さんが ショーウインドウからドイツ製のギターを 出して弾かせてくれるようになった。しか し、給料の何か月分もする高級な輸入ギ ターなど買えるはずもなく、ただ触るだけ で満足して時は過ぎていった。

その後、日本の手工ギター製作の第一人者 に製作を依頼して念願のギターを手に入れ たのは1965年、23歳の時。当時の月 給の3倍以上であった。奇しくも母が55 歳の若さで他界した年であった。いわば私 のギターは母親の生まれ変わりのような宝 物である。ギターはなで肩で腰がくびれて いて、その姿は、正に女性の体によく似て いる。もっとも母親は小太りで、腰は全く くびれていなかったが。今でも毎日のよう に抱いて大切に愛用している。このお話 は、私のホームページのエッセイの最初の 頃に詳しく書いている。

その後の長い年月の間には、仕事が忙し かったり、写真に夢中になったり、三味線 に凝ったりで、ギターから多少遠ざかった 時もあったが、片時もギターの魅力を忘れ ることはなかった。仕事の第一線を離れた 55歳から再び日常の練習を再開し、還暦 を機会に「アクティブ・シニア」を目指し てギター・ソロ活動を開始した。何歳まで 挑戦し続けることができるか、これが私の 若さの秘訣と心得て頑張っている。

そんなギター・ソロ活動も3年目を向か え、10月22日(土)佐鳴台公民館の公 民館祭りで「土曜コンサート」が午後1時 から開催され、私も恒例により出演させて いただく。お暇な方は是非足をお運びくだ さい。秋の午後を軽やかな音楽を聴いて過 ごすのも悪くはありません。75段は、秋 のせいか、歳のせいか、工事現場の話が、 いつの間にか私の昔話になってしまいまし たが悪しからず。(2005・10・15)

「デジタルつれづれ草」トップ