アンドレの「デジタルつれづれ草」69段

“戦いに敗れた若き家康が一泊した「満光寺」”

満光
寺

国道257号線を引佐町から鳳来町に向 かって行くと、やがて山吉田の集落入口に 道の駅「三河三石」がある。ここは、奥三河、 南信州への通り道なので、毎年10回 以上は通る私にとっては、いわば通勤道路 である。帰りに必ず最後のトイレ休憩に立 ち寄る格好の場所である。7月中旬、足助 町への行きがけに久し振りに訪れてみた。 (お店で買い物は余りしたことはありませ ん。・・・お店のおばさんごめんなさい)

この道の駅には立ち寄っても、すぐ後ろに ある「満光寺」に立ち寄る人は余りいな い。貞観2年(860年)、平安時代に天台宗の寺として建てられた古い寺である。 庭園は小堀遠州流で愛知県の指定文化財に なっている。自然石の階段を登り、数本の 大きな杉の大樹に守られた古い山門をくぐ ると本堂の前に出る。本堂横の入口から、 靴を脱いで上がると、正面に「志の箱」が 置いてある。拝観料をこころざしで納めて 右手の書院に進む。薄暗い書院の先に、鴨 居、敷居、障子に四角に切り取られた明る い庭が目の前に広がる。明と暗の対比が見 事である。

更に庭に近づくと、横に広がっていた庭が 垂直に縦に天に向かって広がっていた。庭 は心の字の池から裏山の切り立つ崖をその まま利用して築かれていた。私はある雑誌 で「庭に百日紅の古木がある」と読んだの で、今頃が見頃かと7月のある日、再び やってきたが、庭を見渡しても百日紅の花 がどこにも見当たらなかった。ちょうどそ の時、住職のおかみさんが見えた。「百日 紅の花が見当たらないけど」と聞いて見 た。「お宅も雑誌で読んだのね。皆さんに 聞かれるのよね。困るのよね、いい加減な 文章を書かれて」と、おかみさんは迷惑そ うに語った。

雑誌の取材に記者が来たのは今年の冬の寒 い頃だったそうだ。百日紅と見間違えた木 は「姫娑羅の木」。姫娑羅の木は6月中旬 ごろ、白い清楚な花が下向きに咲く。散っ た花は全て天を仰ぐように上に向いている そうだ。冬は葉が落ちて、木肌がすべすべ して百日紅とよく似ている。だいたい雑誌 や新聞の記事は記者が聞きかじった話を、 後は作文してしまうのでいい加減な内容が 多い。私も文章を書くようになって、この ことがよく分かる。注意しないといけな い。「テープを聴いてくれると、ちゃんと 分かるのよね、聞きます? 途中まででも いいから聞いてって。」そう、おかみさん は言って、テープをかけて奥へ行ってしまった。1 5分ほどのテープを初めて聞いた。姫紗羅 の話もちゃんと出てきた。

武田軍との戦いに敗れた若き日の家康が、 難を逃れて満光寺に一泊した。家康は「明 朝早立ちする。一番鳥が鳴いたら必ず起こ していただきたい」と頼み、眠りに就い た。ところが、その日に限って寺の鶏は、 真夜中に刻を告げる。家康一行はまだ闇の 中を出発、夜明けと共に武田軍が寺を包囲 した時は既にもぬけの空、一瞬の差で難を逃れ た。後に天下を統一した家康は、恩返しと して満光寺の鶏に三石の扶持を与えたとい う。三河三石の名は、この古事に因んでい る。今も寺には鶏が三羽飼われていた。

この庭が華やぐのは石組み全体に及ぶサツキが開花する5月だが、6月の姫娑羅、夏 の睡蓮、秋の紅葉、冬の南天、万両の赤い 実と、四季折々に楽しめる。また、書院に 入る襖の豊橋の書家、大沢華空の「雨洗風 磨」の書も見事だ。「いま、草がぼうぼう でごめんなさい。秋の彼岸までにはちゃん と手入れしておくからね」。おかみさんが 再び現れて、そう詫びた。庭の手入れは大 変である。我が家の庭を見ればおかみさん の苦労がよく分かる。秋になったらまた来 ようかな。(2005・7・30)

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