アンドレの「デジタルつれづれ草」67段

“秋野不矩美術館で半世紀ぶりに再開した 同級生”

秋野不矩美術館

7月3日の日曜日、新浜松市誕生を祝っ て、無料開放された天竜の秋野不矩美術館 へ初めて訪れた。小雨模様にもかかわら ず、駐車場は満車であった。少し待って車 を入れた。坂道を登りきったところに美術 館はあった。入口の表札は、既に「浜松市 秋野不矩美術館」と書き換えられていた。

さすが天竜杉をふんだんに使った少し外観 に特徴のある建物である。入口で靴を脱い で入るところが、他の美術館とは一味違う この建物は、私の大好きな芥川賞作家で前 衛美術家及び路上観察の元祖である、赤瀬 川原平氏の路上観察学会の仲間である建築 家:藤森照信氏が設計している。赤瀬川原 平氏自身も入口の木製ベンチを斧ではつっ て手作りして参加している。

この日ここを訪れたのは、なにも無料開放 日だったからではない。私の大好きな路上 観察の写真作品展が行われていたのと、予 てから特徴ある建物と赤瀬川原平氏手製の 木製ベンチを確認する為であった。写真展 は市内のアマチュア写真家鈴木隆行氏が天 竜川町を路上観察して一眼レフデジカメで 撮り溜めた全倍大(新聞紙を広げた2枚 分)のプリント作品だった。こんな大きな 作品をプリントするプリンターも自前だと 聞いてビックリした。作品は私の感性とは 少し違っていたが、それなりに参考になっ た。

美術館を出たところで、突然夫婦連れの女 性の方から「Kさんですよねえ!」と、 呼び止められた。「わたし・・・!。中学 の時の同級生の2組のT村N枝です」。私の 名前を正確に呼んでいるから同級生には違 いないとは思った。しかし、過去の同窓会 で会っているのかも知れないが記憶にない し、いきなり40数年ぶりに名前を呼ばれ ても思い出せない。女性には失礼だが、ほ ぼ半世紀の時間経過は、可なり顔の変化が 激しいのである。仕方が無いから「やー! ほんとに久し振りですね」。と分かったよ うな顔をした。後は今の状況や家族の状況 を話したりした。別れしなに、「しばらく 同窓会をしていないね。みんな、もう還暦 も過ぎたし、会いたいね。Kさん、計画 してよ」と、同窓会の催促をされてしまっ た。

家に帰って、早速中学の卒業アルバムを見 て彼女を探した。「いたいた、なるほどこ の子か」。見れば何となく思い出す。アル バムの彼女はまだあどけない。昼間の彼女 とは大違いである。しかし、何となく面影 はあった様な気がした。それにしても女性 の記憶力はすごいものである。当時私は1 組で彼女は2組でそんなに親しくした記憶 もないし、私も目立つほうではなかったよ うな気がする。それが半世紀ぶりに、しか もすれ違いざまに私の名前を正確に呼ぶな んて、「ビックリしたなーもう!」。見方 を変えれば私の顔は、半世紀前から、ちっ とも成長していないと言うことか。(2005・7・9)

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