アンドレの「デジタルつれづれ草」59段

“雅やかな世界の「十二単」と「衣文道」”

十二単

4月のある日曜日、浜松の某ホテルで雅や かな十二単の着装の実演を鑑賞する機会が ありました。 十二単は平安時代の宮中に於ける公式の場 で着る最も正式な装束です。この慣例は平 安時代より現在に至るまで続いています。 最も最近では、皇太子殿下と雅子妃殿下の 結婚式の時に着装されたのは皆さんのご記 憶にあると思います。

この十二単を着装する時の専門の着付け役 のことを、衣文者(えもんじゃ)といい、 この道を「衣文道」といいます。着る人の 前に付く人を前衣文者、後ろの人を後衣文 者といいます。通常は後衣文者のほうが位 が高く、後ろの人がリードします。着せる 時には茶道や華道などと同じようにいろい ろな規則があります。 まず着装に入る前に、着る人は“お方様” と呼ばれ、着る人は立っていますが、衣文 者は前後に座り、着る方に向かって丁寧に お辞儀をします。その時普通は床に手のひ らをついてお辞儀をしますが、衣文者は手 のひらにゴミがついてはいけないので、手 の甲をついてお辞儀をします。

衣文者は決して立ってはいけません。着る 人の手や肌に直接触ってもいけません。話 しかけたり、息を吹きかけてもいけませ ん。また衣文者同士が話をしてもいけませ ん。このような厳粛な雰囲気の中で、優雅 に着装が行われます。 十二単の十二は12枚着ていたのではなく、 沢山という意味の形容詞です。単衣(ひと え)は裏地の付いていない衣の意味です。 十二単は俗称で正式には「唐衣裳装束(か らきぬもしょうぞく)」または「女房装束 (にょうぼうそうぞく)」といいます。女 房とは当時の宮中の決められた地位にある 女性の総称です。ちなみに我が家に同居し ている女性も私よりも偉いので「女房」と 言ったりします。

最初は予め下着として白色の“小物”と呼 ばれる小さな袖の着物を、足には指に切れ 目のないソックスのような足袋を履きま す。最初に着る衣はひとえと呼ぶ裏地の付 いていない衣です。一番下に着る衣が一番 サイズが大きく、上に重ねていく衣ほど小 さくなります。ですから何枚も重ね着した 状態でも、最初の単から順々に着せた衣の 端が必ず見えるようになっています。 十二単の装束には「重ねの色目」というの があって、花や植物の名称が付いていて、 それによって重ね着の色のコンビネーショ ンが変わります。この色の取り合わせは 300種類ほどあり、季節やその人の身分に よって変わります。色も段々濃くなるもの と段々薄くなるものがあり、グラデーショ ンのようになっています。平安時代の貴族 の色彩感覚の見事さは現代人以上でビック リします。

一番上に「表着(うわぎ)」と呼ばれる最 も豪華な織物が使われます。最も重い衣で 装束を全部つけると35キロ程あるそうで す。これが最後ではなく、この上に「唐衣 (からきぬ)」、更に最後に「裳(も)」 をつけ、「檜扇(否扇)」手に持たせま す。全部着装が完成するまでに20分から25 分、モデルの19歳のお姫様が絶えられない ほど相当熱くなるので冷房を入れさせてい ただきます、との断わりがあった。この日 は少し肌寒いほどの日だったので、見てい る我々は寒くて大変でした。つくずく我々 は庶民でよかったと思ってしまいました。

この平安時代の宮中の、わが国独自の服飾 文化を作り上げた時から高倉家・山科家と いう二つの公家の家が代々その知識と技術 を守ってきました。この両家はそれ以来、 天皇家をはじめ、将軍家、諸大名の儀式に 於ける装束の調達や衣文(えもん)の奉 仕(着せること)を続けてきました。この 道を「衣文道」といい、茶道、華道と同じ で、一つのことに対する専門・技芸を意味 します。現在でも宮中に於いて儀式のある ときは、両家のいづれかが天皇を始め、皇 族の装束を衣文者が着装します。

今回は、普段は我々庶民には目にすること も知識もなかった宮中の雅やかな世界を覗 き、勉強することが出来ました。それにし ても、雅やかな人々の儀式の衣装の大変な こと。・・・・私はつくづく平民に生まれ てよかったと両親に感謝しています。(2005・4・23)

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