アンドレの「デジタルつれづれ草」51段

“年の初めに”

早いものでお正月も1週間を過ぎてしまい ました。「七草粥」も終って、皆さんに 「おめでとう」の言葉を言いそびれてしま いました。この歳になると、お正月が来て も何の感激もなく、ただ、いたずらに歳を 重ねるだけです。とは言っても孫がやって くるのが何よりの楽しみとなりました。今 年は昨年9月に生まれた2人目の孫もやっ て来て、毎日マゴマゴと忙しい正月でし た。 「来て嬉しい、帰って又嬉しい孫」・・・ ・などと言いますが、正にその通りで、孫 達が帰った後には疲れがドット出て、家内 は早速風邪をひいてしまいました。私も最 近疲れると歯が痛むようになって、正月 早々歯医者に行ったり、二人ともダウンし てしまいました。「お正月は疲れるね」と 私が言ったら、「誰もお正月に来てくれな くなったらお終いよ」、と家内が言いまし た。「それもそうだね」、と私が相づちを 打ちました。お正月は疲れるけど、家族全 員が集まるのは嬉しい事です。

最近では個人のお宅では門松を飾る家など 皆無です。お餅を搗くお宅もありません。 おせち料理を自分で作る家庭はどのくらい あるのでしょうか。専らスーパーで玄関 の飾りと切り餅、おせち料理を少々買って きて済ませてしまうお宅も多いのではない でしょうか。 それでも正月を大切な伝統行事ととらえて いる人は96%いるそうです。スーパーから 買ってくるにしても、お雑煮とおせち料理 は殆どのお宅で食べるようです。我が家で も「黒豆」「煮しめ」「栗きんとん」(我 が家はサツマイモきんとんに栗を入れる) 「なます」などは作ったりします。昔はお 雑煮は1月中旬ごろまで食べたものです が、今では正月3日頃まで食べて、普段の 食事に戻ってしまいます。 現代人はスキヤキやウナギ、お寿司など、 昔は特別の日にしか食べられなかったご馳 走を日常食べているので、かえってお正月 は質素な料理になります。お雑煮なども 時々普段の日に食べたりしています。最も 逆に最近は素材を吟味した質素な料理こそ が贅沢だとも言えるのですが。

「おせち料理」の歴史は意外と新しく20 0年余り、現在のような形になったのは江 戸時代の後半のことだそうです。そもそも の由来は正月の節供料理で、宮中の「お節 供(おせちく)」の行事で、宮中では1月 1日、7日、3月3日、5月5日、7月7 日、9月9日、と言った節目に神に供え物 をして宴を開きました。やがて正月に振舞 われるご馳走だけが「おせち料理」と呼ば れるようになって民間に広まったと言われ ます。 おせち料理には、まめ(健康)に暮らせる ように黒豆を、子孫繁栄に数の子を、昆布 は喜ぶに、田作りは豊年満作祈願、紅白な ますはお祝いの水引を形どったものなど、 ・・・・家族の無病息災や子孫繁栄を願い 祈ったものです。その願いを食べ物の形や 名前の語呂合わせに託した、江戸時代の庶 民文化のユーモアあふれる大らかさを感じ ます。

我が家も標準的な核家族です。3人の子供 たちが大学へ進学した十数年前から、家内 と二人暮し。今では3人とも東京方面にそ れぞれ家庭を持って離れ離れの暮らしであ るが、年末には三人とも家族を連れて浜松 に帰ってきます。正月には家族一同が顔を 合わせて、お雑煮、おせち料理をいただい て、一族の健康、繁栄を祝います。今年は 孫が1人増えたり、次女が結婚したりで賑 やかな中にも平凡なお正月風景でした。皆 さんのご家庭のお正月も同じような光景で しょうか。・・・・「それにしても疲れた あー!」・・・・。

さて、吉田兼好の「徒然草」は序段を除い て、全243段ですが、アンドレの「デジ タルつれづれ草」はいったい何段まで続く のか、皆目自分でも分かりません。ただひ たすら“つれづれなるまま”に書き綴るだ けです。永くエッセイを書き続けている と、つい家族が登場してしまうのは、エッ セイを書く人に共通の宿命のようなもので す。家族の話を通じて人の生き方を語って いるつもりです。悪しからず。 今年も引き続き御愛読いただければ何より の幸せです。(2005・1・9)

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