アンドレの「デジタルつれづれ草」17段

“デジタルとアナログ”

時計

世の中に“デジタル”と“アナログ”があ るのは皆さん周知の通りですね。 「あいつはデジタルな人間だ!」とか「あ の人はアナログだなあ!」とか言ったりす る。デジタルは「融通が利かない」とか、 「ハッキリしている」こと。アナログは 「いい加減な人」などの意味で使ったりす る。・・・・・余り使わないかな。 私のホームページのタイトルも“アンドレの「デジタル喫茶店」”、このエッセイのタ イトルも「デジタルつれづれ草」と、デジ タル時代を意識した名前をつけている。テ レビ放送もいよいよ本格的なデジタル時代 に突入しようとしています。 広辞苑で調べると、デジタルは正確には ディジタル、「ある量またはデータを有限 桁の数字列(例えば二進法)として表現す ること」。一方アナログは「ある量または データを連続的に変化しうる物理量で表現 すること」とある。余り馴染みの無い表現 で分かりにくいですね。 アナログは「見た目で見積もる=判断す る」。デジタルは「数を数えて正確に判断 する」。と言い換えることも出来る。デジ タルの方が新しい技術ですが、しかし、ど ちらが優れていて、どちらが劣っている、 と言うこととは少し違うような気がする。 ・・・・・物理や数学が得意で頭の切れる 人間が人間的に立派かと言うと、それは全 く別の問題だ。・・・・と言うのに似てい る。・・・・少し意味が違うかな?。

一昔前にデジタル表示の腕時計が流行した ことがある。物珍しさと洒落た感じが受け て私も使ったりしたが、直ぐに廃れてし まった。時計は今の正確な時刻を知ること もさることながら、後どのくらい余裕があ るか?、と言うのを知りたい事の方が多 い。アナログ時計は見た目で直ぐに判断で きるが、デジタル表示の場合、頭の中で計 算をしないと直ぐには分らない。この辺が 廃れてしまった理由ではないかと思う。 ピアノの調律の場合、昔は専ら調律師の耳 が頼りであったが、今は音程をデジタルで 正確に測る機械がある。しかしプロのピア ニストは未だに人間の耳で調律してもら う。一流のピアニストは専属の調律師を演 奏会に連れて行き、耳で調律してもらう。 同じ「ド」の音でも次が「ドの♯」で次が 「レ」と言う事でははなく、音は限りなく 連続して続いていて幅があり、微妙な味付 けが必要なのだ。これはギターやバイオリ ンなど、他の弦楽器でも同じだ。 音楽をオーデイオで聞くのも、昔はレコー ドだったが、今はCDだ。安価な装置でも 雑音もなく音がクリアで奇麗である。しか し相変わらずアナログレコードの根強い愛 好者がいるのも事実だ。CDは音は良いけ れど音に温かみと味がないという。

昔ステ レオ装置に1,000万円も掛けて、ひたすら 良い音を追求していたオーディオマニアの知人がいたけれ ど、CDになってから、お金を掛けて装置 にこだわる楽しみが無くなって味気なく なってしまった。 時間も同じである。10時21分の次は10 時22分ではなく、21分と22分の間には限 りなく無限に近い時間経過がある訳ですか らね。大体物事を全て「1」か「0」、「あ る」か「ない」の二つに分けてしまうと言 う乱暴な考えはいけません。もっと人間的 な温かさが欲しいですね。・・・・しかし デジタル技術の進歩のお陰でこうしてパソ コンやインターネットを楽しむ事が出来る のだからデジタルに感謝しないといけませ んね。 書いていて自分でも訳が分らなくなってし まった「デジタル」と「アナログ」の対決 は切りが無いので、今回はこの辺で一先ず 終りにしましょう。デジタルがいくら進歩 してもアナログがなくなることは無いと思 います。それぞれ長所短所があります。 言っておきますが私はデジタルの固まりで 出来ているパソコンが大好きな人間です が、ホントはアナログ大好き、性格はい たってアナログな人間なのです。(2004・5・7)

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