アンドレの「デジタルつれづれ草」8段

“いちご白書をもう一度”

いちご

レストランで一皿14万円、一粒1万4千円 もするイチゴを食べた人がる。海の向こう のヨーロッパでの話である。食べたのはア ラブの大金持ちだった。「初物のイチゴを 最初に味わえるなら50万円出しても惜しく ない」と言ったとか。さすが産油国の富豪 となると豪勢なものだ。・・・・・・と言 う話を昔何かで読んだ記憶がある。 清少納言は「枕冊子」の中で、あてなるも の(上品で美しいもの)の一つに「いみ じゅううつくしきちごの いちごなどを食 いたる」さまをあげている。今の季節、我 が家の朝食のデザートに「いちご」が良く 出るようになりました。私の孫も「いち ご」は大好きである。 昔ユーミンやビリーバンバンが唄っていた 「いちご白書をもう一度」という歌があり ましたが、私の場合は恋の思い出ではな く、「いちご白状」のお話、いちご泥棒を してしまった幼い頃の思い出を・・・・・ ・・。もう、時効だからお話しましょう。

私に とってイチゴと言えば、遠い昔、イチゴ泥 棒をしてしまった、懐かしい思い出があり ます。昔は実家の周りはサトウキビ畑、麦 畑、サツマイモ、スイカなど、季節ごとに 豊かな農村風景が広がっていました。 終戦直後の小学校の頃はおやつなんて今ほ ど豊富ではありません。専ら家の周りの畑 からよく失敬したものです。サトウキビ畑 は背が高いので昼間でもいいのですが、イ チゴ畑は背が低いので、昼間に失敬すると 目立ってしまいます。夕方日が暮れる頃に 友達とイチゴ畑に腹ばいになって手当たり 次第に赤く熟れたイチゴを頬張ったもので す。 今思えばお百姓さんが丹精込めて作ったイ チゴを食べてしまって、ほんとにごめんな さい。この場を借りてお詫びを・・・・・ ・今さらお詫びしても仕様が無いですけどね。貧 しくとも心豊かな良き時代でした。・・・ ・・泥棒をして心豊かもないか?

イチゴは初夏の季語で、もともとほんとの 旬は5月の初旬では無かったか。はっきり 記憶に無いほど季節感がなくなってしまい ました。ビニール農法が当たり前になった 昨今、確かに季節知らずの果物や花が1年 中楽しめるのは便利にはなりましたが、し かし、それは同時に私達の生活から急速に 季節感を奪い、味気ない風景になってし まったように思います。(2004・3・6)

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