シリーズ“趣味に生きる”

「思い出のスケッチ画」:栗原勝さん

「美しい佐鳴湖公園」

栗原勝さんは昭和54年から平成11年まで、5期20年間に亘り浜松市長を歴任された現役時代の多忙な時間を割いて、昭和59年から2年間、ふるさと浜松の美しい風景、温かさや落ち着きのある風景、思い出や歴史のある風景を愛着をもって、心を込めて描き、「広報はままつ」の表紙を飾り続けました。

栗原さんに是非「「シリーズ“趣味に生きる”」のコーナーにご登場いただこうとご自宅にお邪魔してお話を伺いました。栗原さんに「絵をお描きになったきっかけは何ですか?」とお尋ねして、栗原さんは私の考えていた趣味のレベルを遥かに超えた方だと知り、このページに登場願うのは失礼かと思いましたが、栗原さんの温かいご好意により当時の思い出のスケッチ画を飾る事が出来ました。

このページの作品の真ん中で、そんな現役時代に、周囲の勧めで地元の百貨店で「栗原勝スケッチ展」が企画された時の当時の世話人の方のお話をご披露して、“人間栗原勝さん”のこの絵に対する思い、人となりを感じていただければ幸いです。

(※作品の画像は著作権を放棄していません。無断でのコピーはご遠慮ください。)



佐鳴湖

中田島砂丘

浜名湖(白洲町付近)

亀山トンネル(旧軽便跡)

真向坂(鹿谷町)

金原明善翁生家(安間町)

枕瀬橋(滝沢町)

甘露寺中門(中郡町)

五島の灯台

根上がり松(鴨江町)

四つ池公園(幸三丁目)

蜆塚公園(蜆塚四丁目)

神田川(神ケ谷町付近)

笠井町の街並み

市民の木(砂山町)

百段坂(高林一丁目)

旧児童会館(利町)

浜名湖・館山寺

馬込川の遊歩道(上島付近)

養鰻池(篠原町付近)

「栗原さんの絵」・・・・文:斉藤和雄氏(現谷島屋書店相談役)1986年2月・・・・

栗原さんはいつも清潔で温和な表情をたたえて市民に接して下さる。その上永い行政経験を通じて培った確かなセンスと考えで手堅い仕事をしてくださる。多くの方々が市長としての栗原さんに、そういう印象を持っておられると思います。しかし、実はそれだけではありません。 栗原さんは、大変幅の広い人で、単に行政センスだけでなく、それを遥かに超えたものを持っておられます。 それが市長栗原さんの魅力でしょう。

栗原さんは若い頃建築学を勉強されました。建築というものは、総合技術であり、その意匠に至っては総合芸術です。優れた建築家の多くは、美的な感覚に富み社会万般から人の心の営みまで深い洞察力を身につけています。建築を志し、谷口博士や清家博士に師事した栗原さんの人間としての巾は、若い時に磨かれたものに違いないと思います。

昨年なくなられた相生垣瓜人先生は、美術学校の出身で、俳壇の芥川賞といわれる「陀忽賞」 を受け、和漢洋の典籍に精通し、永年工業高校の先生をしておられました。栗原さんは瓜人先生の教え子です。その瓜人先生は、「秀才というだけでない生徒」として栗原さんを観ておられたようです。単なる教師を超えて達人の域に達した瓜人先生の目に映った栗原少年が、既に人間としての素晴しい素地を具えておられたことの証拠になると思います。

建築家から行政家へ転身した栗原さんの内面には、合理性と芸術への共感が太く流れているのです。その栗原さんの絵が、広報はままつの表紙になり始めてから二年余りたち、今回その原画展を催すことになりました。この展覧会の一番良い点は、絵を通じて一層深く栗原さんを理解することが出来ることです。毎月号の栗原さんの絵は上手の上に誠実で手堅いものばかりです。

私が思うのに、市長さんの絵が達者で器用な絵であるよりも、このような正直な絵であることの方が市民にとって、どれだけうれしいことかはかりしれません。栗原さんの絵は芸術家の個展とは違う感銘を私共に与えてくれるに違いありません。



賀茂真淵記念館(東伊場一丁目)

遠鉄高架下の緑道(田町・板屋町)

姫街道の松並木(葵・吉野東付近)

古人見町の汽船場

芳川堤(神立町付近)

佐鳴湖公園

火見櫓(大山町)

中央図書館のアプローチ(松城町)

拓かれる三方原台地

クスの木(新橋町)

寺坂(広沢一〜三丁目)

浜松城(元城町)

マキ囲い(老間町付近)

伊場遺跡公園(東伊場二丁目)

銀行協会(栄町)

都田川

鴨江別館(鴨江町)

犀ヶ崖資料館(鹿谷町)

武道館(西浅田二丁目)

堀留ポッポ道(菅原町)

大雄寺漢門(天神町)

中野町のまち並み

遠州灘海浜公園(中田島町・江之島町)

住吉浄水場(住吉五丁目)

まるがた(材木町)

掛塚橋遠望

子供の橋と合羽坂(利町・栄町)

緑化推進センター(大塚町)

遠州灘大橋(中田島町・江ノ島町)

プレスタワーを望む(昭和60年頃)
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