アンドレのフォト・エッセイ「青春日和」No.102

“私とギターの話”

1965年5月31日、私の母は55歳の若さで突然の病に倒れ亡くなった。その時私はまだ若干23歳だった。ちょうどその年に今も愛用し続けている私のギターが東京都中野区の中出阪蔵ギター工房で母親の生まれ変わりのように誕生した。これは偶然だが最近になって制作年月日を確認してわかったことだ。当時のサラリーマンの平均的な給料が歌にもなった「13800円」の時代である。給料も少ない若い時だったので高級クラスは買えず、それでも当時、日本の3大ギター製作者の一人であった中出阪蔵さんにギターのレッスンを受けていた先生を通じて依頼した。先生は私の目の前ですぐに中出阪蔵さんに電話して製作を依頼してくれた。製作費は確か35000円ほどだったと記憶しているが、それでも当時23歳の私にとっては大金であった。

ちょうど今年は2020年、このギターも母親の人生と同じ55年の年輪を重ねて私は78歳になった。母親の生まれ変わりのようなこのギターを、毎日胸に抱き続けて55年になる今となっては感慨深いものがある。78歳になった私が、いまでは自分の娘のような年齢の母親に思いを寄せる気持ちが不思議である。15歳から始めた趣味のギター演奏が定年後の私の人生を大いに実り多い人生にしてくれた最愛のギターである。

私は、還暦を機会に当時の公民館で毎年秋と春に開催される「ふれあいコンサート」でギターソロ活動を始めて今年で18年になった。演奏技術のレベル維持のためにと始めたソロ活動は定年後のライフワークとなった。その後デイサービスセンターや老人施設、老人会などからも声がかかるようになった。人前でソロ演奏をするようになってから、毎日夕食後の90分の練習が日課となった。50年以上弾き続けている愛用のギターも指板やフレットがすり減ったり、ヘッドが割れてペグ(弦巻)がぐらついてきたりで、7万ほどかけて2回にわたる大きな修理をした。人間と同じで長年使い続けるとあちこち傷んできて修理が必要になる。これからも元気でいられる限り、愛用のギターを弾き続けていきたいと思う。(2020.5.23)

「青春日和」トップ