アンドレのフォト・エッセイ「青春日和」No.94

“知らないほうが良いかも”

私の音楽仲間で今年85歳になる男性がいる。趣味のテニスと麻雀そして音楽が大好きで、いわゆる文武両道のすこぶる健康には自信があり、いつも「健康には誰にも負けない」と豪語していた。そんな彼から1か月ほど前、突然に音楽仲間の代表をしている私の携帯に電話があった。「今病院から電話しています。この間白内障の手術を受けました。その時の血液検査で思いがけない病気が見つかってしまった。病名は多発性骨髄腫、いわゆる血液の癌でステージ2、余命3年と診断された。3週間の検査入院が必要とのことで今病院にいます。そんなわけで、しばらくアンサンブルの練習に出席できませんのでよろしくお願いします。」とのことだった。 思いがけない電話にびっくりするばかりだった。

彼はアンサンブルの会計を担当していたので引き継ぐ必要があった。「土日には家に帰っているので、次の日曜日の夕方5時に私の自宅で引継ぎをしましょう」と約束をした。ところがその日の午後、奥さんから電話があった。「今日5時にお約束してあったようですが、主人が急に具合が悪くなって急きょ病院へ戻りましたので、また後日でよろしいでしょうか」との事だった。会計の引継ぎは、その後連絡をいただいて自宅にお邪魔して奥さんより書類一式を引き継いだ。あの日は急に高熱が出たとのことだった。

それから1週間ほどして病院に見舞いに行った。ベッドにいなかったのでしばらく談話コーナーで待っていたら、寝間着姿で腕に点滴の管を刺して廊下をトボトボと歩いてきた。「ああ、今トイレに行ってきたのですみません」。談話室でしばらく話をした。「何の自覚症状もないのに突然ガン宣告されてしまった。車の運転を止められ、運動も禁止されてしまった」という。可なり精神的に落ち込んでいる様子が伺える。お腹のあたりを見せてくれて、薬の後遺症でしょうか、赤紫の斑点が体中を覆っていた。「もう病院のモルモットですよ」…とか細い声でそう言った彼の姿は、完全に病人になってしまっていた。余り長居をしてはいけないので10分ほどで失礼した。

あんなに元気だった彼が僅か3週間ほどの間に180度も人生が変わってしまったことにショックを受けた。80歳を半ば過ぎて普通に元気でいても、あと何年元気でいられるだろうかの年齢だ。むしろ治療を受けないほうが元気で過ごす時間が長いのではないのか?それよりも癌であることを知らないほうが良かったのではないか?…などと、いろいろ考えさせられた。医療も進歩しているから、又元気に戻ってきてくれることを祈るばかりだ。暑い真夏の突然の出来事だった。(2016・8・6)

(後日談)
そんな彼が1か月後の練習日にギターを抱えて何事もなかったかのように姿を見せた。顔色もすこぶるよく、1か月前に病院で会った時の彼は何だったのかと驚いた。ビックリして彼に尋ねたら、「医者は入院して1週間に一度の抗がん剤の治療を勧めたが、私は自宅から通院して治療を受けます」と入院を拒否したという。「入院すると本当に病人になってしまう。どうせ普通に生きても余命何年の年齢なのだ。好き勝手なことをして残りの人生を楽しむことにしたよ」と明るく語った。好きな麻雀と音楽と旨いものを食べて残りの人生を楽しむ選択をした彼は流石だ。自分の人生は医者が決めるのではない、自分で決めるべきなのだ。

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