アンドレのフォト・エッセイ「青春日和」No.83

“夏の終わりに突然に”

今日は処暑、暦の上では暑さも終わるころであるが今年の夏は全然違う、とにかく暑い。連日観測史上記録づくめの猛暑が続いている。いつもは昼間はエアコンは入れないことにしているが、さすがに今年はどうにも我慢が出来なくて昼間からエアコンを入れる日が続いた。熱中症で病院に運ばれてはもともこもない。エアコンも扇風機もあるのに我慢して付けないで熱中症で亡くなった高齢者のニュースが時々流れる。我慢にも限度があることを知るべきだ。

東海地方は全然雨が降らない猛暑続きだが、九州や日本海沿岸部では数十年に一度と言われる局地的な集中豪雨で避難勧告が出ている。と思えば、四国ではダムの貯水が枯れて取水制限が出ている始末だ。今年はセミの鳴き声もいつもと違う気がする。お盆のころにはクマゼミに変ってアブラゼミが盛んに鳴き始め、処暑を過ぎればツクツクボウシが鳴き始めるのに、クマゼミがいつまでも鳴いていた。そんなクマゼミも20日を過ぎた頃にはバッタリと鳴かなくなった。庭のセミの死骸だけが夏の終わりを告げていた。そんな異常だらけの夏の終わりのある日、突然わが身を襲った。

8月10日朝、目が覚めて起きようとしたら腰がズキンと痛くて、やっとの思いで起きて着替えたが靴下が履けなかった。ちょうど昨日から盆休みで次女が孫を連れて来ていた。11日には孫たちを愛知県民の森の川に水浴びに連れて行った。12日には長男も孫を連れてやってきたて、13日には孫の希望で岡崎城見学に痛い腰を押して私のワゴン車でドライブに行った。久しぶりの孫との対面でちょっと無理をしてしまった。14日には長女もやってきて久しぶりに家族全員が揃った。この日はのんびり少し体を休めたがやはり翌15日の朝は起きて着替えるのがやっと、靴下は相変わらず自分では履けなかった。午後になって起きているのがつらくなったので2階の寝室で横になって昼寝した。

3時過ぎに階下で「コーヒーでも飲みますか?」との声が聞こえた。「はーい」とうつらうつら返事をして起きようとしたら腰に激痛が走ってまったく起きられない。やっとの思いでとりあえずトイレに這って行ったが、便器を抱えてその場でうずくまってしまった。仕方なく「おーい誰か来て!」と呼んで助けを求めたら、隣の部屋にいた長女がビックリして階下のかみさんと長男を呼んでくれた。長男は、トイレでうずくまっている私を抱えて便器に座らせてズボンを下げてくれた。かみさんは濡れタオルで額の脂汗を拭いてくれた。「おしっこはちゃんと出た?」と長男が聞いた。「ああ、ちゃんと出たよ」と答えた。こんな時、おしっこが出ないと重大な病気の心配があるのだそうだ。それを長男は心配してくれた。とにかく病院に行かないと、というのでお盆休みの当番医を探したが余り適当な病院が見つからない。「大きな病院のほうが良いよ」というので市の医療センターに電話したら「夕方5時から受け付けの夜間救急の窓口に来てください」との説明だった。

夕方4時半過ぎ、長男の車に乗って夜間救急診療を受けに行った。ウォーキングの為に買ってあった杖が初めてこんな時に役に立ってしまった。すぐに呼ばれてCTスキャンを撮って診察を受けた。内臓的には問題がないようだ。ヘルニアの可能性もないので単なるギックリ腰でしょう、ということで、とりあえず痛み止めの座薬と飲み薬を処方され帰宅。シャワーを長男に手伝ってもらってやっと汗を拭いて座薬を入れてその日は早く寝た。こんなことで長男に初めて介護されるとは思ってもみなかった。長男一家はその日の夜、長女も翌朝には単なるギックリ腰の診断に安心して帰って行った。

座薬が効いたのか、朝の寝起きはだいぶ楽になった。しかし起きる時に箪笥の縁につかまったり、ズボンや靴下が履けない状態は相変わらずだ。朝一番で医療センターへ改めて整形外科の診察を受けに次女の車で医療センターへ連れて行ってもらった。もう一度レントゲンを撮って改めて診察を受けた。私の場合は腰の患部を手で押しても、足を挙げても痛みが出るという症状では無かった。最終的な結論は、生まれつき腰の骨の形状が悪く、しかも神経の通り道である脊柱管が細い状態で「腰痛はこれからも出やすい体質ですよ」と言われてしまった。取りあえず外科治療が必要というわけではなく、症状が出たら痛み止めで対処するしか無いという。背骨の周りの筋肉を鍛えて保護するしか方法がないとの結論になった。その日の夕方、次女たちも東京へ帰って行った。

その後1週間があっという間に過ぎて、痛みがひどい時は痛み止めを飲んで症状が回復するのを待っているが、なかなか元通りの体調には戻らない。痛み止めの薬は強いので出来るだけ飲まない方がよいと聞いて我慢している。ギックリ腰は過去に何回か経験しているが、今回は症状が少し違う。寝て起きたらぎっくり腰になっていたのは初めてだ。これが加齢ということなのだろうか。回復に1か月くらいは時間が掛ると思っている。人間一生の内に何度か節目の年があるが、ちょうど今がその時期ではないかと思っている。起きたら立ち上がる、ズボンを履く、靴下を履くなどの当たり前の行動が普通にできることの有難味がよく分かった。健康が何よりである。(2013・8・23)

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