アンドレのフォト・エッセイ「青春日和」No.73

“満開の桜の日に古稀を迎える”

満開の桜が晴天にまぶしい4月10日に、とうとう私は「古稀」を迎えてしまった。当たり前だが生まれて初めての経験である。今年は厳冬のおかげで桜の開花が遅れ、4月に入ってからも肌寒い日が続いて、おかげで満開の日が長く続く。昔なら「古来稀」な年齢であるが、最近では「みんな当たり前」の年齢である。10年前に還暦を迎えた時にも余り実感がなかったが、今回も「もうそんなになるの」と他人事のように時間の過ぎる速さに驚いている。

気持ち的に何の変化もなく朝を迎え、朝食時にかみさんから「今日は古稀の誕生日だね、おめでとう」と言われた。「別に稀でもなんでもないよ」と照れながら、いつもの朝の風景が始まる。「今日は午後歯医者に行くから帰りにデパートで何か買ってこようかね」と、かみさんはささやかな古稀祝いを気遣っている。「何がいいの、とんかつ?お寿司?」「久しぶりに寿司なんかいいね」。これで今夜の古稀祝いのご馳走は決まった。昼過ぎに新聞屋が「お誕生日おめでとうございます」と、これまたささやかな誕生祝を持ってきてくれた。軽い小さな紙袋を開けたら中身は100円ショップのハンディモップだったが何となく嬉しいものである。金額の過多ではなく、その心遣いがうれしいのだ。

老人とか高齢者とか熟年とかシニアとか、いろいろな呼び方があるけれど、どう呼ばれようがどのみち年寄りには違いない。どう呼ばれても今さら若くなれるわけではないのだ。だったら開き直って年寄りの特権を大いに楽しむべきではないか。何より時間は自由である。何時に起きようが、何時に寝ようが誰にも束縛されない。やりたくないことはやらなくていいし、やりたいことだけやれば良い自由さがある。お金も多少のお小遣いを何に使おうと自分の勝手である。映画や施設の入場料も割引になる。年寄りの特権を大いに利用し、大いに残りの人生を楽しもうと思う。

夕べは毎月恒例の居酒屋での飲み会があって仲間20人ほどでワイワイガヤガヤと盛り上がった。市内の退職者仲間で10年前に立ち上げたシニアネットの会員が居酒屋で飲み会を開くようになり、いつの間にか会員が友人を誘って毎月居酒屋に集まるのが恒例となった。平均年齢70歳ほどの、過去の職歴は様々な男と女が年齢を忘れて居酒屋で3時間ほど様々な話題で盛り上がるなどは、元気なシニアの幸せな瞬間の極みである。夜の飲み会は少々しんどくなったので最近回数を減らしているが、この集まりだけは格別でこれからも大切にしたい。

東京で暮らす3人の子どもが私の古稀の祝いを計画してくれているようである。5月の連休に東京に出てくるようにとの連絡があった。どんな計画をしてくれているのか皆目分からないが、嬉しいことである。ある人に聞けば親が病気で入院しているのに見舞に来ない子どもがいるという。親を老人施設に入れたまま、めったに顔を出さない子供がいるという。それに比べて平凡だがわが家は幸せな家庭だと思う。昨年の東北大震災を経験して、平凡な当たり前の暮らしが見直されているという。いつの間にか小学校5年生と2年生になった東京の孫から夜、「おじいちゃんお誕生日おめでとうございます」と電話があった。その後電話は息子が代わって誕生祝いの言葉をもらった。2人の娘からも誕生祝の電話とメールが入った。今夜の古稀の日の夕食のお寿司と缶ビールは格別に美味しく幸せでした。(2012・4・10)

「青春日和」トップ