アンドレのフォト・エッセイ「青春日和」No.70

“念願の「万治の石仏」とご対面”

2007年にテレビ番組で“首が伸びる不思議な石仏”として紹介され話題になった、長野県下諏訪町の「万治の石仏」に念願かなってご対面してきた。当時テレビを見た時に是非一度見てみたいものだと思っていたが、わざわざこの石仏を見るだけに行くには遠すぎるので、ついそのまま忘れていた。

20数年前から毎年かみさんの兄弟と従兄弟夫婦11組で「いとこ会」と称してマイクロバスを貸り切って一泊旅行を行うのを恒例にしていた。当初は一番若い私たち夫婦はまだ40代半ばだった。しかし、寄る年波には勝てず、メンバーの中には病気になったり亡くなったり、だんだん人数も少なくなってきたため、平成15年5月の第20回を以て「いとこ会」は解散になった。その後、一番身近な5世帯で「ミニいとこ会」を結成し、私が万年幹事役で私の8人乗りのワゴン車で一泊旅行に行くようになった。5世帯といっても今年は女性3人は既にご主人が他界し、夫婦健在は2組だけ、7人の平均年齢75歳である。今年は11月4〜5日に「信州の鎌倉」として有名な長野県の別所温泉に行ってきた。歴史のある別所温泉は温泉も良く、素晴らしい所だったのは言うまでもない。そして翌日美ヶ原高原美術館に寄って帰り道、下諏訪町を通るので「万治の石仏」のことを思い出して立ち寄ることにした。

「万治の石仏」は諏訪大社下社春宮の西を流れる砥川対岸の道を150mほど入った田んぼの中にあった。芸術家の岡本太郎がこの石仏を見て「こんな面白いものを見たことがない」と絶賛したという。川の入り口に岡本太郎の名前が刻まれた石碑が立っていた。また、作家の新田次郎も感嘆し「石仏の いわれを秘めて 秋の月」と詠んでいる。ここから石仏は歩いてすぐの所に、稲は既に刈り取られた田んぼの中に鎮座していた。高さ2.6m、長さ3.8mの自然石(安山岩)に刻まれた胴体の上に高さ6.5mの仏頭が載っていてユニークで異様な姿をしている。普通は胴体と頭部は同じ石で刻むのだが、不思議な石仏だ。私も思わず「素晴らしい!」と心の中で叫んだ。

伝説によると、諏訪高島三代藩主忠晴が、諏訪大社下社春宮に石の大鳥居を奉納しようとし、命を受けた石工がこの石材にノミを入れたところ傷口から血が出てきたため、職人たちは崇りを恐れ、改めてこの不思議な石材に阿弥陀如来様を刻み祀ったという。万治3年(1660年)11月1日に刻まれたので「万治の石仏」という。胴体中央には「南無阿弥陀仏」、左に「万治三年十一月一日」、その下に「願主 明誉浄光 心誉廣春」と刻まれている。

1991年8月に1度頭部が落下して支柱で固定して修復した。その後、ある写真家が毎年写真を撮ったところ、首が少しづつ伸びている事が分かった。当時は「首が伸びる不思議な石仏」としてテレビに取り上げられ話題になって全国的に有名になった。下諏訪観光協会では、「周辺の安全確保」のためとして、修復することになった。頭部の下から水や泥、賽銭が発見され、首が伸びた原因は、支柱に水が溜まり、冬にその水が凍り、だんだん頭部が上昇したということだ。原因が分かれば「なーんだ」ということだが、謎のままの方が夢があってよかったのに。・・・・・そんなことで、晴れて念願のご対面を果たして満足して帰ってきた。もちろん諏訪大社下社春宮にもお参りしましたので念のため。(2011・11・8)

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