アンドレのフォト・エッセイ「青春日和」No.67

“失われて初めて気付く大切なもの”

人はふだん何気なく生活していても、ある日突然それがなくなると初めて、その大切さに気付くものである。その最たるものは肉親の死であろう。とりわけ、私の今の現実としては妻に先立たれるのが一番困るので、健康管理には気を付けてもらっている。一般的には女性の方が長生きといわれるが、周りを見ると妻に先立たれた熟年男性がけっこう多いのに気付く。私の両親もそうだったので、妻に先立たれた男のみじめさはよく知っている。

話は少し変わるが、むかし私が子供のころ、家の周りは田んぼや畑が広がり、少し歩くと小川が流れていて、原っぱやこんもりした森がたくさんあって、夏になると毎日のようにトンボやセミ、バッタにキリギリス、フナやメダカなど、気がつくと蚊に刺されヒルに血を吸われながら真っ黒になって生き物を捕るのに夢中になったものである。もう60年も昔のことである。 昭和30年代後半に入り高度成長時代が始まると、農家はサラリーマンになり、田んぼや畑は耕作放棄地となり、やがて埋め立てられて山も崩され、大きな住宅団地がたくさんできるようになった。やがて子どものころ遊んだ里山風景はいつの間にかなくなっていった。私も昭和40年代にそんな団地の住民になった。あれから既にもう40年があっという間に過ぎてしまった。

私の団地の中に小川が流れていて、その上流に「椎ノ木谷」という里山がある。ある私立高校のグランドに造成される話が持ち上がって、地元の自治会や学校のPTA、自然愛好家が中心になって里山を守る運動が広がり、これを受け市が調査したところ、ミカワバイケイソウやシロバナカザグルマなど絶滅危惧種の貴重な植物群やカワセミなどの野鳥、オニヤンマやゲンジボタルなどの昆虫の宝庫だということがわかった。昭和30年代頃の里山風景を取り戻そうと、平成15年に市民ボランティア「椎ノ木谷保全の会」が設立され、浜松市と市民が協働で緑地保全に取り組むことになった。

今では毎日のように市民ボランティアの方たちが田んぼや畑を整備したり下草を刈っている姿が見られる。私も時々ここを訪れては心を和ませてもらっている。田んぼも田植えが済んで早苗がきれいに植えられた昨日散歩に行ってみた。相変わらず何人かのボランティアの方が暑い中、里山整備に汗を出して頑張っていた。田んぼの上をいろいろな種類のトンボが飛び回っていた。その中に昔懐かしいギンヤンマを見つけて驚き、トンボ捕りに夢中になった少年時代を思い出した。 帰りに近くの湧水の流れている小川を散歩していたらイトトンボが羽を休めていた。ハグロトンボや真っ赤なアカネの仲間もいた。ほんとにここは見事に自然がよみがえっている。原発の事故で揺れている世の中になっても、こんなに自然がよみがえった素晴らしい所が身近にあることに少し安心した。(2011・7・15)

「青春日和」トップ