アンドレのフォト・エッセイ「青春日和」No.61

“私の好きな「三叉路交差点」”

私の大好きな風景に「三叉路交差点」がある。「Yの字交差点」ともいう。「どうして好きなの?」と言われても困るが、「感覚的に好き」としか言いようがない。多分「人生の岐路」を感じるからだろうと勝手に解釈している。田舎を旅していると、よくこんな三叉路を見かける。いつも天竜方面へ行く時に必ず通る道筋にある。いつも通るたびに「いい三叉路だなあ」と思って通り過ぎる。立ち止まってじっくり確認したいのだが、狭い道路沿いにあるのと、いつもは他人を乗せているので立ち止まるわけにいかないのだ。わざわざこの交差点を見るために来るには少し遠すぎる。そんな訳でいつも通るたび気になっていた。

やっと一人で来る理由ができて立ち寄ることができた。こういう交差点にはよく火の見櫓やお地蔵さんがある。ここにもちゃんと火の見櫓もお地蔵さんも揃っている。まだ新しい説明書きの看板が立っていた。

「ここの交差点(辻)は南西から北へのびる旧秋葉街道、東の芝本方面への道、南の平口方面への道、西の土取方面への道が交わる五叉道で昔の道筋がよく残っています。江戸時代には、この交差点に傍示木(地元では「ぼうじぎ」と呼ぶ)という境界を示す石が置かれ、交差点の通称の由来にもなっています。また文化5(1808)年には「右志ばもと」「左あきは」と刻まれ、道標が設けられ、嘉永2〜3(1849〜1850)年には宮口三十三観音のうち8番〜12番の5体の石仏も置かれています。明治期に入ると、秋葉山龍灯が建てられ、その後も消防小屋や火の見櫓、屋台小屋などがこの交差点付近に建てられています。このように、この交差点は古くから交通や信仰の重要な地点であるとともに、地域の人々が集まる場所の一つでした。(平成22年3月)」とあった。

やはり気になるだけの価値のある交差点だったのだ。ただしここは三叉路ではなく五叉路とある。よく見ると確かにすぐ北に信号のある交差点となって五叉路になっていた。昔は幹線道路だったが、今は東側に立派なバイパスができて、こちらを通る車は少なくなり地元の知っている人だけが使う裏街道になってしまった。通行車両が少なく信号も少ないので私もよく使う道路だ。今では旅と言えば車にバスや電車だが、昔はもっぱら自分の足で歩くしかなかった。街道筋にはこうした道路標識が必ずあって、道中の安全を祈願するお地蔵さんが置かれ、安全祈願をしながら旅をしたのだろう。車社会になってからの道路はカーナビに案内され、ただ通り過ぎるだけの味気ない旅になってしまった。たまには地に足をしっかりつけ、五感を感じながらのんびりとテクテク旅をしてみたいものだ。(2010・10・12)

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