アンドレのフォト・エッセイ「青春日和」No.57

“屋根より高いこいのぼり”

♪屋根より高いこいのぼり・・・・・。
まさに屋根より高いこいのぼりである。数年前から5月の連休になると、地元の鉄鋼所の大きなクレーンの先にたくさんのこいのぼりが泳ぐようになった。きっとこの鉄鋼所のご主人が可愛い孫のためにこんな粋な計らいを思いついたのでしょう。

風薫る5月、森や山の木々は淡い緑色の新緑に包まれて、今年は5月になってもなぜか頬をなでる風もまだ冷たくて気持ちが良い。端午の節句が近づくと全国各地で一斉に見られる風景に“こいのぼり”がある。新しく男の子が誕生すると、どこの地方でも見られる風景だ。もっとも今は都会ではマンション住まいが多くなり、ベランダにミニこいのぼりを飾って我慢する風景が多くなったのは時代の流れで残念である。最近地域ぐるみで、使われなくなったこいのぼりをたくさん集めて、川の両端をロープでつないだ見事なこいのぼりの大群をよく見かけるようになった。風物詩としては微笑ましい光景だ。

わが家でも40年前長男が誕生した時に、親父が早速どこかの知り合いからもらってきたのか、大きな竹を1本自転車にくくりつけて持ってきて、イヌの額?ほどの庭先に支柱を立てて、親戚からいただいたお祝いの大きな鯉のぼりを飾ってくれた。いつの時代でも孫は可愛いものだ。こいのぼりは出勤前に私が揚げて、夕方かみさんが下すのが日課となった。時々風にあおられたこいのぼりのシッポが竹竿の先端の風車や屋根に引っ掛かって下ろすのにひと苦労した思い出がある。そんな息子も今では自分の長男にこいのぼりを揚げる年齢になった。時の過ぎるのは早いものだ。

こいのぼりの由来は、鯉が「龍門」という急流の川をのぼると龍になって天へ登るという中国の伝説からきている。男児の健やかな成長と立身出世を願い江戸時代の武家社会で始まったという。その後裕福な商人の間で普及して、やがて一般庶民の間でも行われるようになった。もともとは黒い真鯉だけだったが明治時代に入り緋鯉と対で揚げられるようになり、その後緑色やオレンジ色などカラフルになり、女の子も含めて家族全員の分の鯉のぼりを揚げるようになった。

桃の節句も端午の節句も昔からお嫁さんの実家で揃えるのが一般的な習慣のようである。つまり母方のお爺ちゃんお婆ちゃんが可愛い孫のためにお祝いすることになっている。おかげで私も男児2人、女児2人の孫に恵まれて、平均的なお爺ちゃんの役目ができる幸せを味わうことができました。(2010・5・8)

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