アンドレのフォト・エッセイ「青春日和」No.56

“時代とともにお墓も変わる”

最近自分も歳になったせいか、両親の墓参りに行ってつくづく考えるようになりました。もう誰も墓参りに来てくれない荒れたままの墓をたくさん見かけます。遠くで暮らしている子供たちは、せめて春と秋の彼岸には勤めとして両親の墓参りには行くものです。しかし、その子供たちもやがて年老いてくると、両親の墓参りも難しくなります。肉体的にも経済的にも困難になってきます。これは仕方のないことです。

核家族化の進んだ現代では、子供と親は遠く離れて暮らす家族が多くなりました。しかも子供の数も少なくなり一人っ子同士が結婚すれば、新しい世帯で2つの墓を守っていかなければなりません。その子供もやがて年老いて自分が介護されるようになれば、両親の墓を守るのは物理的にも無理な話です。わが家は無宗教なのでお寺はありません。お墓を作るとすれば市が分譲する墓を購入することになると思います。生きているときに自分の墓を購入する人もいます。ごく稀に生きている内に生前葬なるものを行う人もいます、が私はそれは遠慮します。生きている間は、精一杯生きることに邁進したいと思います。

人類が文明・文化を発明した時から死者を弔う習慣がありました。先祖を敬う習慣はとても大切なことです。この大切な心は失いたくはありません。しかし、墓を守るにも永久にということは不可能です。世の中の事情や習慣も変わっていく中、お墓の在り方も考えないといけません。永代供養墓というのがあります。お墓参り出来ない人、または墓参りしてくれる人がいなくても、代わりにお寺が責任を持って永代に亘り供養を管理してくれるものです。大方は過去の宗派は問わないようです。合葬墓、合祀墓、共同墓、共同墓などとも言います。合祀墓の場合は骨壷からお骨を出して、他のお骨と合わせて埋葬されます。ですから、お骨の返還、他への改葬はできません。

納骨堂というのがあります。お骨を土に埋葬せず、室内に収蔵する施設ですが、法的には墓地と同じ扱いです。一時的な預かり施設というイメージですが、最近はお墓と同様、お骨の安住場所と位置付ける考えが主流になってきました。一番の特徴は交通の便利なところが多く、屋内なので天気が悪くてもお参りしやすい、管理・手入れがしやすい、多くはお墓よりも価格が安いことから人気が高くなっています。納骨堂といっても、主に棚に骨壷を並べる棚タイプ、コインロッカータイプ、位牌もおける仏壇タイプ、室内墓地、屋内霊園といわれるお墓タイプがあります。最近は立体駐車場タイプの回転式タイプが登場したようです。礼拝用カードを挿入すると1分程度で骨壷の入った厨子が自動的に運ばれて参拝できる仕組みだそうです。

墓石に代わって墓標としての木を植える樹木葬というのがあるそうです。岩手県のあるお寺が、墓地と里山保全を両立させる発想から生み出したのが樹木葬墓地の誕生だそうです。環境に配慮し、看板や供物もないため普通の里山と変わらずよさそうですが、法的には墓地として都道府県知事の許可がないと容易には新設できないので、話題の割には普及していないとか。

自然に帰るというなら、やはり散骨は万葉の時代から1000年の歴史があります。江戸時代以降は今のお墓の形式が一般化されてから散骨は余り見られなくなりましたが、その後、山野の散骨は付近住民の反対や風評被害のトラブルから難しいようですが、海への散骨は法律的にも認められて一般的に行われるようになりました。日本の有名人では勝新太郎、横山やすし、石原裕次郎などが海への散骨をしています。

近年お墓でも散骨でもない新しい選択肢として広がりを見せている方法に手元供養(自宅供養)というのがあるようです。オブジェやペンダントなどに通常は粉末にした遺骨を収納または加工し、手元や自宅に保管して供養するものです。これならいつでも供養ができます。大切な人を遠くに葬りたくない、経済的やその他の理由でお墓が立てられない、無宗教なので自分らしい最後を希望する、遠方の墓参りは無理、供養を人任せにしたくない、残る家族に余分な負担をかけたくないなど、現代人の悩みに応える形で生まれた新しい形式だ。

現代人のライフスタイルに一番合っているのは最後の手元供養なのかなとも思ったりします。先祖の供養は遠くへ行くとか、お金をたくさん掛けるとかということではありません。要は心の問題です。最近は自分の葬儀を自分で演出する人もいるようです。ナレーションを自分の声で録音したり、音楽はこのCDを掛けて、お花はコスモスの花がいいな、とか考えれば自分流の演出はいろいろ考えられます。人間、生まれる時は自分の意思ではどうすることもできませんが、せめて死ぬ時ぐらいは自分の意思で自分らしさを演出したいものです。まだまだ自分には時間があると思っているのでじっくり考えたいと思いますが、しかし、明日のことは誰にもわかりません。(2010・4・25)

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