アンドレのフォト・エッセイ「青春日和」No.50

“裁判員制度スタート”

平成21年5月21日からスタートした日本の裁判員制度による裁判が、静岡県内では沼津に続いて2例目、いよいよ浜松でも6月に磐田市であった殺人事件を審理する裁判が10月27日から29まで3日間の日程で始まりました。初日の27日は45席の傍聴券を求めて317人の希望者が朝9時前から並びました。テレビの中継車も来たりして報道陣も大勢見えて賑やかでした。私も一応仕事がらみの取材に行ってきました。

これまでの裁判は法律の専門家が中心となり、丁寧かつ慎重に行われてきたが、その反面、その審理や判決が専門的な正確さを重視する余り、国民にとって理解しにくかったり、審理が長期に亘るなど、刑事裁判は国民にとって近寄りがたい印象がありました。既に欧米などの多くは刑事裁判に直接国民がかかわる裁判制度が設けられ、国民の司法への理解を深める上で大きな役割を果たしているといいます。そこで日本も司法制度改革の中で国民の司法参加の制度の導入が検討され、裁判官と国民から選ばれた裁判員が、それぞれの知識や経験を生かして一緒に判断することにより、より国民の理解しやすい裁判を実現することができるとの考えのもと、裁判員制度が提案されたとのことです。

では、裁判員はどうやって選ばれるかというと、〔市町村の選挙管理委員会がくじで候補者名簿を作成⇒候補者に裁判員候補者にリストアップされた旨本人に通知、就職禁止事由や客観的な辞退事由に該当しているかどうかを尋ねる調査票が送られる⇒事件ごとに裁判員候補者名簿の中から、くじで選ばれる⇒くじで選ばれた候補者に質問状を同封した呼出状(選任手続期日のお知らせ)が送付される⇒候補者のうち、辞退を希望しなかったり、質問状の記載からは辞退が認められなかった方は選任手続き当日に裁判所へ行く⇒最終的に事件ごとに裁判員6人が選ばれる〕・・・・・という流れです。

さて、辞退を希望するかどうかの「質問票」の内容は、@重い疾病または障害により裁判所に出頭するのが困難A介護または養育が行わなければ日常生活を営むのに支障がある同居の親族がいるB仕事に於ける重要な用務があって、自らがこれを処理しなければ著しい損害が生じる恐れがあるC他の期日に行うことができない社会生活上の重要な用務があるD妊娠中または出産の日から8週間を経過していないD同居していない親族または親族以外の同居人を介護・養育する必要があるE親族または同居人が重い病気・けがの治療を受けるための入院等に付き添う必要があるF妻・娘が出産する場合の入退院への付添い、出産への立会いの必要があるH住所・居所が裁判所の管轄区域外の遠隔地にあり、裁判所に行くことが困難であるIその他、裁判所の職務を行うこと等により、本人又は第三者に身体上、精神上または経済上の重大な不利益が生ずる・・・・・以上です。

裁判員制度は、広く国民のみなさんに参加してもらうことで成り立つ制度であり、法律や政令が定める辞退事由に該当が認められない限り、裁判員になるのを辞退することはできない。・・・・・ということです。どう見ても私の場合は今のところ辞退する事由が見つかりません。積極的に参加する気はありませんが、万一くじが当たってしまったら、「人生何事も経験」と思い参加する覚悟です。しかし、裁判員の仕事は刑事事件の法廷に立ち合い、判決まで立ち会うことになります。公判では証拠書類を調べるほか、被告人や証人に質問することもできます。証拠を調べたら、事実を認定し、被告人が有罪か無罪か、有罪ならどんな刑にするべきか、裁判官と一緒に議論し決定することになります。つまり、有罪の場合の刑に関する裁判員の意見は、裁判官と同じ重みを持つのです。法律には全く素人の一般市民が人の罪を裁くのはとても難しい問題です。ましてや殺人事件となると、かなりのプレッシャーではないかと想像します。

裁判員を経験した人たちの感想は、「事件に遠いイメージがあったが身近に感じた」「いろいろな視点で聴くことができた」と充実感を感じた人もいれば、「疲れた」「人を裁くことに責任を感じた」と様々。できれば宝くじには当たっても裁判員のくじには当たって欲しくないのが本音です。(2009・11・3)

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