アンドレのフォト・エッセイ「青春日和」No.48

“いよいよ我が家もデジタルテレビ時代”

デジタルテレビ

私がテレビというものを初めて見たのは、小学校5〜6年、昭和28〜9年の頃だ。当時はテレビ番組が始まったばかりで、どこの家庭にもあるというわけではなく、いわいゆる<おだい様>の家にしかなかった。そんな数少ないおだい様の友達の家に行くと、広い日本間の床の間のような処に大きな木製のキャビネットが鎮座していて、観音開きの扉を開けると小さな白黒の画面が現れた。当時はまだ娯楽番組は余りなく、これがテレビというものかという記憶しかない。

昭和30年代に入り、中学生になった頃、我が家にもテレビがやってきた。当時は相当高価なものだったに違いない。普通の安サラリーマンが買える金額ではなかっと思う。商売をやっていた親父が頑張って買ったのだろう。画面の前にプラスチックのレンズをつけて、14インチを16インチくらいに大きくして見るのが流行していた。この頃になると娯楽番組も充実して、「ジェスチャー」「私だけが知っている」「お笑い三人組」「事件記者」などを夢中で見た記憶がある。昭和30年台も後半になるとカラーテレビが普及し、東京オリンピックを境に急速にカラーテレビ全盛時代になって、どこの家庭にもテレビがある時代になった。ところが昭和44年に結婚した当時は、お金も余りなく、カラーテレビが買えなくて、新婚時代は16インチの白黒テレビに逆戻り、実家でカラーテレビを見て育った嫁さんは、随分がっかりしたとか。その後はもちろんカラーテレビを何台か買い換えてきた。

20年近く使っていた我が家の26インチカラーテレビが正月ごろから電源部分が壊れて、突然スイッチが切れるようになってしまった。またスイッチを入れ直しては我慢しては見ていたが、10分もするとまたスイッチが切れるようになって、遂に危篤状態になってしまった。2011年7月にはデジタル放送に切り替わるので、それまでにはデジタルテレビに買い変えないとと思っていた矢先に突然心臓発作を起こしてしまったのだ。毎週末の家電量販店の広告を見ていると、どんどん安くなっていく。もっと安くなってから買い換えようと時期をうかがっていたが、ちょうどタイミング良く、政府の緊急経済活性化対策で、家電製品にエコポイントやらがつくようになった。これを利用しない手はないと、さっそく馴染みの家電量販店に行ってみた。

今やテレビは大型の液晶テレビ時代。37インチ、40インチ、50インチが主流で店の奥にずらりと並んでいる。昔の20インチ台のテレビは隅のほうにちょこっとあるだけである。少し前までは50インチなどのテレビは粒子が粗く、とても見るに堪えない代物だったが、今は画像が鮮明で色も鮮やかで迫力満点、技術の進歩にはびっくりする。しかしせいぜい37インチか40インチにしようと決めていた。それでも今までのテレビからすれば随分大画面である。店員に相談したら、「お客さんは何畳の部屋で見ていますか?」と聞いてきた。「10畳くらいかな」と答えた。「その広さだったら今は50インチが標準ですよ」と店員が言う。「値段もそんなに変わらないからこの46インチはどうですか」と、私が決めていた某メーカーのテレビを推薦した。テレビ台も付けて納得の値段だったので、「少し我が家には大きいのでは」と思ったがそれに決めた。

数日後注文のテレビが我が家にやってきた。さすがに大きな画面である。人物も実物より大きく映って迫力満点である。店員に「デジタル放送は文字情報が多いので、画面が大きいほうが良いですよ」と言われたが、確かに目の悪くなった年寄りには大きいほうが文字も見やすい。少し離れた食堂からも見るので画面が大きいのは正解だった。14インチから20インチ、次は26インチに買い換えたときは随分大きくなったと思ったが、いきなり倍の46インチ、面積では4倍である。しかし慣れとは恐ろしいもので、はじめは画面が大き過ぎではと思っていたのに、慣れてしまったらさほどにも感じなくなってしまった。

政府の緊急経済対策で決まったエコポイント制度は対応が混乱しているのか、商品券の請求手続きをしてから1カ月が過ぎても、まだ何の連絡もない。ほんとに商品券がもらえるのだろうかと心配になってくる。46インチの大画面には、ちょうど衆議院議員選挙で圧勝した民主党と、社民党、国民新党の連立政権が合意して、各党首が握手している画面が映っていた。「エコポイントは自民党が大敗したので廃止になりました」、 などとは、まかり間違ってもないと思うが。(2009・9・10)

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