アンドレのフォト・エッセイ「青春日和」No.45

“一輪のキンランの花”

キンランの花

老化は足からくると言う。さすがに60歳を過ぎると体力の衰えを実感するようになった。・・・・・と言う訳で、最近は寸暇を惜しんで歩くことにしている。今日は朝から良い天気になったし予定も入っていなかったので、「歩きに行こうか」と意見が一致した。掃除、洗濯、布団を干して、9時半に家を出て2時頃まで歩くことにした。花が綺麗に咲いているガーデンパークに行くことにした。おにぎりとお茶を仕入れようと途中のコンビニに寄った。ところが売れてしまって余り種類がなかった。2種類しかないおにぎり4個を買った。最近はどこの家庭も家でおにぎりを作ることはしないようだ。この時間スーパーはまだ開店前なのでコンビニで買うことになる。コンビニがお弁当やおにぎりに一番力を入れるのもうなづける。

ガーデンパークに向かったら、途中から車が渋滞して看板を持った係員が道路を整理していた。ゴールデンウイーク中、『フラワーフェスタ2009』とかいうのをやっていて、今日が最終日だったのだ。これでは駐車場に着くころにお昼になってしまう。急きょ目的地を変更して引佐町方面に向かった。どこにしようかと迷っているうちに、山の上に国民宿舎奥浜名湖が見えてきた。そうだ、あの国民宿舎に車を止めて歩こう。さすがにここの駐車場は空いていた。山の方に向かって歩いていたら、<慰ヶ峰まで5km>の看板があった。そう言えばかなり昔に来たことがあった。「挑戦してみるか」と歩きはじめた。登山道の入口に「おもかる地蔵」なる、妙な名前の地蔵が祭ってあった。石を持ち上げて重いと感じれば苦しい登山が、軽ければ登山が楽に、と書いてあった。ここで腰を痛めては何もならないのでお参りだけして登り始めた。岩だらけのアップダウンのきつい登山道が続く。最初の展望台のあるところで一息ついた。

相当歩いたつもりなのに「慰ヶ峰まで4.2km」の看板。≪張り切りコース≫は真っ直ぐ、≪らくらくコース≫は右へとあった。もちろん≪らくらくコース≫を行った。らくらくコースを過ぎると、またアップダウンのきつい岩だらけの道が続く。途中何組かの熟年夫婦のハイカーとすれ違う。明らかに私たちより年配の人もいた。負けてはいけないと、また頑張る。しかし、行けども行けどもアップダウンの道は延々と続いた。途中民家の屋敷の中に迷い込んだと思うようなところに差し掛かった。廃船があったり、仏像が並んでいたり、ポニーが飼われていたりしてビックリする。すると、やがて看板があった。「地主のご協力により個人のお屋敷を通らせていただいています」と書いてあった、納得した。

頂上まで300mにさしかかった最後の上り坂の岩の陰に一輪の金色に輝いたキンランの花を見つけた。苦しかったアップダウンの登山道に、ヘトヘトになっていた時だった。「あと一息だから頑張りなさい」と言っているようだった。最後の力を振り絞って登り切った。標高423.9mの慰ヶ峰の頂上に2時間近くかかってやっと辿り着いた。もう全身汗でびっしょりになってしまった。山の上も余り風がなく、この日は真夏のような暑さだった。頂上でいただいたコンビニのおにぎりの美味しかったことは言うまでもない。奥浜名湖の眺めも最高だった。頂上には小学生の孫を連れた家族づれ1組と熟年男性1人と我々夫婦の3組だけだった。

さすがに帰りはまた岩だらけのアップダウン道を引き返す気にはなれず、キンランの咲いていたところから南に折れて、300m下った車の通る林道に降りた。ただひたすら平らな舗装の林道を国民宿舎の駐車場に向かって歩いた。しかしこの道がまたやけに長かった。曲がりくねった舗装の道をただひたすら歩くこと1時間15分ほど、7キロはあった感じだ。やっと駐車場に辿り着いて家に帰ってきたのは2時10分頃、干してあった布団と洗濯物を取り込んでコーヒーを飲んで夕方までぐっすり昼寝をしてしまった。テレビでは、この日昼間30度をこ超える真夏日を記録したと報道していた。暑かったわけだ。今日は予定が変更になってしまったおかげで3日分歩いてしまった。さすがに今日のコースはもう2度と歩く気にはなれなかった。(2009・5・10)

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