アンドレのフォト・エッセイ「青春日和」No.32

“ハルジオンの数奇な運命”

ハルジオン

ちょうど今頃、野原や田んぼの畦道を歩いていると、ピンクや白の可愛らしい菊に似た花がたくさん咲いている。時々ウォーキングで訪れる佐鳴湖公園にも黄色いタンポポとともに一番目につく花がハルジオン(ハルシオンともいう)だ。今では季節の風物詩として美しい自然の風景にもなっているハルジオンだが、かつては数奇な運命を背負って、長い苦渋の時を克服して、今の野の花の地位をきづいてきたのだ。

ハルジオンは学名を「フィラディフィカス」という。もともとは北米のフィラディルフィアの大地に咲く野の花だったが、大正時代に園芸用植物としてアメリカから日本に持ち込まれた。当時は「ピンク・フリーペイン」という名前で花屋の店先を美しく飾っていたに違いない。しかし、そんな華やかな生活は長くは続かなかった。花屋には次から次と目新しい花々が溢れるようになり、ハルジオンは何時しか見捨てられてしまった。飽きっぽい人間の都合で花屋を追い出されたハルジオンは、やがて落ちぶれた家の庭や道端に生える野の草となり、人々から「貧乏草」と呼ばれるようになった。

ハルジオンが樹園地などで勢力を広げるようになると、害のある雑草として迫害を受けることになる。除草剤による駆除を受けるようになったのだ。それでもハルジオンは負けなかった。驚くことに厳しい除草剤の攻撃と戦い続けるうちに、遂には除草剤をかけても生き残るミュータント(突然変異)が現れたのだ。昆虫ではよく見られるが、世代交代が昆虫ほど早くない植物では驚異的なことだ。追い詰められたハルジオンは定説をくつがえし、ついに禁断のミュータントを誕生させたのだ。植物に限らず、外国から連れて来られた生物は、もともと日本にあった生態系を壊すために忌み嫌われる。しかし、彼らに罪はない。無理やり連れて来られた見ず知らずの土地で、懸命に生き延びる道を探っているのだ。生態系を壊す悪者は彼らではない。むしろ被害者面しているわれわれ人間こそが生態系を壊している元凶なのだ。

さて、ハルジオンに似た花でヒメジョオンがある。やはりこちらも北米原産のキク科の花だが、こちらが日本にやってきたのは明治維新前後と先輩で、観賞用だったかどうかは定かではない。線路脇や開拓地、荒れ地に広がっていった。ハルジオンとヒメジョオンの見分け方は簡単だ。ハルジオンの花の方が少し大きく、舌状花が糸状で数が多い。紅紫色から白に近いピンク色までいろいろで蕾のうちは花序全体がコックリとおじぎをしているのが特徴だ。一方ヒメジョオンの花は白のみで蕾も下を向かないでまっすぐに立っている。草丈がハルジオンより高くなり、花の時期がハルジオンは4月から8月までだが、ヒメジョオンの花は6月から10月ごろまで咲いている。

ハルジオンの名前は春に咲く紫苑(しおん)という意味で、名付け親は「日本の植物学の父」と言われる牧野富太郎、型破りな人だった。1862年高知県の裕福な造り酒屋の商家に生まれるも幼少の頃から植物に興味を持ってしまった。10歳で寺子屋に、12歳で小学校に入学するも2年で退学、好きな植物採集に明け暮れる。15歳で小学校の臨時教員になり昆虫にも興味を持つ。植物の採集、写生、観察など研究を続けながら欧米の植物学も勉強し、22歳の時に帝国大学理学部植物学教室に出入りするようになる。やがて25歳で共同で「植物学雑誌」を創刊する。27歳の時に新種のヤマトグサに学名をつけ植物学雑誌に発表した。以後彼が命名した植物は2500種以上にも及ぶ。

牧野富太郎が世界的にその名を知られるようになったのは、28歳の時に江戸川の河川敷の用水で偶然にムジナモという水草を日本で新発見し学術論文で正式に発表したことだ。その後31歳で帝国大学理科大学の助手となり、やがて同大学の講師にもなったが、学歴がなかったこと、余りにも植物の研究に熱中するあまり周りの人との軋轢もあり厚遇されなかったようだ。また経済的にも苦しかったようで、実家の造り酒屋の財産も使い、東京に上京した際に親戚に譲ってしまった。妻が経営していた料亭の収益も研究につぎ込んだという。彼の金銭間隔の欠如や周りに対する破天荒な行動にまつわるエピソードはたくさんあるが、その後彼の植物に対する情熱やその業績は高く評価されるようになった。

晩年は65歳で東京大学から理学博士の学位を授与され、同年に発見した新種の笹に翌年に亡くなった妻の名前をとって「スエコザサ」と名付けた。78歳で研究の集大成である「牧野植物学図鑑」を刊行している。1951年89歳の時に第1回文化功労者となり、1953年東京都名誉都民となった。1957年1月18日94歳で死去、没後勲二等旭日重光章と文化勲章を授与された。学歴も財産も捨ててまで、少年時代から死ぬまで彼を魅了し続けた野の植物の魅力とはいったい何なのだろうか。私も野の花を見て「美しいなあ!」と感動はしても、そこまで夢中にはなれない自分は、「ただの凡人だなあ!」と思うだけである。(2008・5・10)

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