アンドレのフォト・エッセイ「青春日和」No.27

“困った時の神頼み”

おみくじ

ちょうど今の季節、子供たちの受験シーズンである。受験生を抱えた家庭では、さぞかし大変なことでしょう。神社へ行くと合格祈願の親子連れが大勢訪れる。神社にとっては正月の初詣に続いて忙しい書き入れ時となる。「書き入れ時」とは、商売が繁盛して帳簿に数字を書き入れることが多いことから、こう呼ばれるようになった。境内の御神木の周りなどが縛られたおみくじで真っ白になっていたりする。半日かけて神社へお参りして、合格祈願の御札を買って、おみくじを引いて、大吉だ、小吉だと一喜一憂して帰っていく。お参りしたら試験に合格するという保証もないのに、そんな時間があったら単語の一つも覚えたほうが良いのに、それでもみんな神社へお参りに行く。合格すれば、神社へお参りしたおかげと感謝する。もし不合格だったら、神様を責めないで、自分の努力が足りなかったことを反省する。しかし、もし、合格祈願に行かないで受験に失敗しらたら、きっと神社へお参り行かなかったことを後悔することでだろう。

おみくじは「大吉」「中吉」「小吉」「吉」「凶」など、12ランクぐらいに分かれている。中には「大々吉」「大々凶」のあるところもあるらしい。信じるつもりはないけど、「大吉」が出ると素直に嬉しいものである。しかし、どんな割合で入っているのかは知らないが、滅多にはないけど「大凶」が出てしまったら不吉な予感がしてガッカリするのが人情というものだ。神社も最近は商売だから、「凶」関係は沢山は入れてないと思う。おみくじを引くたびに「凶」が出たら、二度とこの神社には「お参りなど来るものか」と思われたら売上に響くからね。そんな少ない凶の中から、もし「大凶」などを引いてしまったら、逆に可なり運が強いといえる。宝くじに当たったようなものだ。「大凶」はおみくじ箱からメ(芽)が出る、という事で、むしろ芽出度い事なんだと言っている人もいる。ものは考えようで良いほうに解釈すればいいのだ。災い転じて福となるのだ。いづれにしても、吉や凶に惑わされず、中身の内容をよく読むことが肝心だと言っている。

ところで、おみくじの歴史は古く鎌倉時代からあったらしいが、そんな昔から人間は困った時は、最後には「神頼み」をする。もちろん自分では精いっぱい努力はするけれど、それでも絶対ということは決してあり得ないことを知っているからだ。そいう時は神様にすがるしかない。しかし、神様に頼んでも、やはり「絶対」はあり得ないことも知っている。知っているけどお願いすれば気持が安心する。これが「困った時の神頼み」だ。ふだん信心深い人でなくても正月の初詣や合格祈願、車を買ったら交通安全のお守り、子供ができたら安産祈願、子供が生まれたらお宮参りなどは必ず行っていると思う。

神様は天国にいて、たくさん御賽銭を出してお祈りすると助けてくれる、などと本気で思っている大人はひとりもいない。結局は神様は自分のこころに中にいることはみんな知っている。神様にお願いして置くと、気持が落ち着いて安心して受験勉強に打ち込めるし、健康にも注意するようになり、車の運転も慎重になる。神様にお願いするということは、つまり自分の心の落着きを取り戻すことに他ならないということだ。神様にお願いするのも本人自ら行かないと、他人に頼んでは意味がないと思うのだが、最近は時代の流れで、神社もホームページを開設して遠方の参拝者のためのサービスに努めている。学業の神様で有名な福岡県太宰府市の太宰府天満宮のホームページを覗いたら、遠方で来られない方の為の学業祈願祭申し込みや学業御守りを郵送するサービスがあった。神様も時代と共に変わり進化しているということか。しかし、日本人の神にすがる気持ちは鎌倉時代と少しも変わっていないように思うのだが。(2008・2・10)

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