アンドレのフォト・エッセイ「青春日和」No.20

“人生の賞味期限”

ハーレーダビッドソン
フル装備のハーレーダビッドソンでツーリングを楽しむ熟年夫婦

いま世間では「賞味期限」や「消費期限」が大問題になって、毎日メディアが大騒ぎしている。創業300年と言われる老舗の和菓子メーカー「赤福」までが消費期限を改ざんしていたとは、”何をか言わんや”である。しかも、消費者を欺いた手口は余りにもひどかった。 「不二家」も「白い恋人」もそうだった。この世の中で何が一番いけないかと言えば、「ウソをつくこと」ではないだろうか。「ウソ」は必ずいつかばれる。一度ウソをつくと、ばれるまで一生「ウソ」を続けなけなければならなくなる。バーブ佐竹の「女心の唄」の歌詞に“♪どうせ私をだますなら、だましつづけて欲しかった・・・・・”というのがあったのを思い出した。

そもそも「消費期限」とは弁当、食肉、低温殺菌牛乳など、製造日から5日以内に消費する傷みやすい商品に表示されるもので、安全に食べられる期限を表示している。こちらは期限が切れたのは消費しないほうが良い、というものだ。一方「賞味期限」は、レトルト食品、缶詰、インスタント食品など、製造日から6日以上日持ちがする商品に表示され、味や安全性などが保証される期限を示したものである。こちらは期限が切れたら即食べられない、ということではないが美味しい味は保証しませんよ、というものだ。消費期限が切れた原料を使ったり、返品された期限切れ商品の日付を書き換えて再販売するなど、法律違反は犯罪行為である。

スーパーに行くと、消費期限間近かの食品が30%OFFとか、50%OFFで売っている。すぐに消費するならお買い得である。買い置きして冷蔵庫に入れて置いたら期限が切れていた、などはよくあることだ。我が家の冷蔵庫で期限が切れたのは買った自分の責任である。期限が切れていたら即処分する優等生的奥さんもいるが、冷蔵庫の中で期限が切れたのは自分の責任なので、そこまで徹底して神経質になることもないと思う。眼と鼻と舌でよく観察して、食べられるものは加熱するなど、自己責任で食べれば良いと思う。しかし商売で食品を販売する業者は、賞味期限や消費期限には「もったいない」気持ちを持ってはいけない。スーパーやコンビニなどで期限が切れた弁当などは即処分されるが、これを都会のホームレスがこっそりいただいているらしい。おかげで最近のホームレスの食生活はグルメで糖尿病が多いとか。

食品にはこのように賞味期限や消費期限が表示されるが、人間にも賞味期限や消費期限があるのだろうか。あるとすれば何歳だろう。50歳だろうか、やはり60歳か、それとも70歳まで、いや80歳まではなんとか。定年になったら消費期限が切れてあとはゴミ箱へ・・・・。そんなことはある筈がない。人生の賞味期限は各自の意識の持ち方次第、定年後も「意欲と気力」を持ち続ける人と「無気力」な人、「生きがいを持っている人」と「持っていない人」で大いに差ができる。持っている人と持っていない人では精神年齢が全く違う。現役時代はバリバリ仕事一筋でやっていた人が、定年後はパッタリと家に閉じこもって人付き合いもしない人がいる。燃え尽き症候群などとも言う。賞味期限どころか消費期限が切れてしまった人だ。絶対になりたくないタイプだ。

人生の賞味期限を短くするのも長くするのも本人の努力次第である。仕事から解放されたら、定年後の新たな「目標」や「夢」を持つことである。定年後に「趣味」と「目的」を持っている人は賞味期限が長い。定年後の趣味は「上手い」とか「巧み」を超えて、楽しむことが大切だ。技術を磨くことも必要だが、何よりも楽しむことを目的とすべきである。楽しんでいるうちに自然にそれなりに技術は向上するものだ。それ以上の何を望むというのか。所詮趣味は自己満足の世界である。他人に何と言われようと、まず自分が楽しければそれで十分ではないか。「これで生きていかなければ」などということは全くないのである。

ボランティア活動や社会貢献活動に新たな生きがいを見つける人も多い。30数年以上の経験により蓄えられた知識や技術は社会的に貴重な知的財産である。そのまま埋もれてしまうのは、それこそ「もったいない」話である。地域社会や地元企業のために自分の知的財産を活用して貢献できれば、素晴らしい生きがいになると思う。もう生活のために働く必要はないのだ。自分の好きなこと、自分の好きな時間に自分のペースでできるのが何より楽しいのです。よく「私は無趣味なので」という人がいるが、60数年間生きてきて、何一つ興味を持てるものがなかったという人はいないはずだ。まだ定年後の目標が見つかっていない人は、自分が好きになれるもので、何か一つ無理なく長く続けられるものを探すことである。きっと見つかるはずだ。(2007・10・28)

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