アンドレのフォト・エッセイ「青春日和」No.18

“秋の夜長に「月」を想う”

中秋の名月
中秋の名月に浮かぶ佐鳴湖の夜景(2007・9・25)

秋の夜長は月を愛でる季節でもあります。古くから日本人は暦の基準となっていた月に親しみ、「雪月花」に代表されるように月をこよなく愛してきた歴史があります。また潮の満ち干が月の引力によることはよく知られています。人の生死も潮の満ち干に関係があるといわれます。人は満潮の時に生まれ、引き潮の時に死ぬことが多いと言われます。人間の体の80%が水分でできていることを考えると、月の引力が人間の身体に影響を及ぼすことは十分に考えられます。女性の月のものが月の公転周期と一致しているのは単なる偶然ではないでしょう。人間は生まれるから死ぬ時まで、一生涯月の引力、月の満ち欠けとともにあると言えます。 そんな人間の一生と切っても切れない月の姿を、秋の夜長に、たまには日常を忘れて眺めてみるのも良いものです。

月の呼び名は月齢(月の満ち欠け)と共に毎日変わります。0日目は「新月(しんげつ)または朔(さく)」といいます。月が太陽と同じ方角になり全く見えない闇夜です。1日目の夜になると僅かに光りはじめます。2〜3日目は「三日月、若月」などと言い、夕方西の空に見える細い月です。美人の眉のようにも見えるので「眉月(まゆづき)」とも、また蛾の触角のように細長くくっきりと目立つので「蛾眉(がび)」とも言いいます。3日目前後は「夕月(ゆうづき)」と言って、夕方見える月のことでいわゆる三日月のことです。7日目は「七日月(なのかづき)」、上弦の月のことです。12〜13日目は「十三夜月」「後の月」「栗名月」「豆名月」などの様々な呼び名があり、満月の夜の二日前の月で、満月の次に美しいとされてきました。十三夜月の中でも陰暦の9月13日の月を「後の月(のちのつき)」・「栗名月(くりめいげつ)」・「豆名月(まめめいげつ)」などと呼びます。満月前夜の月は「十四日月」、「小望月(こもちづき)」といいます。特に陰暦の8月15日と9月13日の月を「二夜の月(ふたよのつき)」と言い名月とされ、二夜の月の片方だけを見ることは不吉なことと忌み嫌われました。

いよいよ15日目が十五夜の満月で月が太陽の反対側にあるため月に影がなくなりまん丸く見えます。月の見えない新月から数えて15日目あたりです。「十五夜」「満月」「望月(もちぢき)」「三五の月(さんごのつき)」など様々な呼び名がありますが、陰暦8月15日の月は、「中秋の名月」または「芋名月(いもめいげつ)」とも言って、陰暦では7〜9月が秋とされたため、8月はその真ん中となり、「中秋」と呼ばれました。今年は9月25日が「中秋の名月」でした。その後は欠けて小さくなり、16日目は「十六夜(いざよい)」、ぐずぐずためらっている様子を表す言葉です。満月の翌日は満月より月の出が遅れ、月が出るのをためらっているように見えるからです。17日目は「立待月(たちまちづき)」、月の出を立ったまま、まだかまだかと待っているから。18日目は「居待月(いまちづき)」、満月の3日後の月の出は遅く、立ったまま待つのは疲れてしまい、家の中で座って待つことから。19日目は「寝待月(ねまちづき)」、「臥待月(ふしまちづき)」とも言って、ますます月の出が遅く、寝て待たなくては出てこない。20日目は「更待月(ふけまちづき)」、夜が更けないと出てこない。月が出てくるのは今でいう夜の10時頃です。

23日目は「二十三夜」、下弦の月。26日目の「二十六夜」は三日月を反転させた形の月、午前3時ごろ昇ってくる。また満月以降の月は朝になっても沈まないで残っているので、「有明の月」、「残月」ともいいいます。28日以降は「晦日の月(みそかのつき)」、新月が近くになって出てこない月のこと。30日目(晦日)を「つごもり」と呼ぶのも「月隠(つきこもり)」から転じた言葉、月がこもり隠れるからです。ほかにも「雨夜の月(あまよのつき)」は見ることのできない雨の夜の月、転じて存在するのに見えない物の例え。「昼の月」は昼間に薄く見える月で、見えているけど存在感の薄いものの例えに言ったりします。

たった一つの月なのに、季節や時間、見る場所や心模様によって千差万別の表情を見せる月は決して「月並み」ではありません。月並みは古くは「月次」と書きました。毎月という意味です。転じて平凡で陳腐なことを言うようになりました。「月影」とは月の光で映る物の影のことで「月光」という場合もあります。月が出る時に空が白む月影を「月代(つきしろ)」と言います。月は日本の文化や生活にかくも深く関わりを持ってきました。人類が月の大地に足を踏み入れてしまった現代では「お月さまでウサギがお餅をついている」などと子供に語っても白けるばかりですが、真実を知ってしまうことが人間の幸福につながるとは限りません。知らないことのほうが幸せということもあります。

今年の中秋の名月の9月25日は雲のない晴天に恵まれ、大きな名月が東の空に輝いていました。夕方6時半ごろカメラを持って佐鳴湖公園にエッセイの挿絵のための写真を撮りに行きました。暗い湖畔で三脚を立てて写真を撮っているのは私ぐらいなものです。こんな夜でも時々散歩やジョギングの人が通ります。「変なおじさんがこんな夜に・・・」と思われたかも知っれません。現代人は毎日あくせくと生活に追われ、のんびり月を眺める余裕などなくなっている気がします。あなたは最近月をゆっくり鑑賞したことがありますか。(2007・10・6)

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