アンドレのフォト・エッセイ「青春日和」No.10

“久し振りのご対面”

石仏像

5月のゴールデンウィークが終っても、相変わらず毎週ゴールデンウィークの今日この頃であはあるが、シニアを対象としたボランティア活動や音楽活動、パソコン相手の多少仕事っぽい事もやったり、昨年暮れから始めた庭の改造もまだ続いていたりで、それなりに結構忙しい毎日である。それでも、以前に比べれば何も予定のない日が多くなって、余分なことを考える余裕が出てきた。先月図書館で読んだ本にヒントを得てホームページの新しいテーマに取り組み始めて、5月半ば頃から遠州地方の野仏の取材を始めている。

5月20日の日曜日の朝、大阪へ出かけるかみさんを浜松駅まで送ってから、久し振りに引佐町金指の宝林寺の如来様に会いに行くことにした。風が少し強かったれどお天気は朝から上々で気持ちの良い朝でした。9時に宝林寺の駐車場に着いて、先ずは歩いて2分ほどの裏山の木立の中の如来様に会いに行きました。昼間なお薄暗い木立の中に無事、如来様は相変わらずのお姿でおりました。その中でも真ん中の大日如来様の優しい顔立ちが大好きで、この日でかれこれ5〜6回目のご対面である。お会いするたびにその美しい姿を写真に撮らせていただくが、この日も20カットほどシャッターを押しました。ここを訪れる時は特に夏場は半そで半ズボンは厳禁です。この日も既にやぶ蚊がブンブンと飛んでいました。

如来様とのご対面を済ませて、仏殿のほうに回ることにしました。こちらはほんとに久し振りです。拝観料を徴収するようになってからは初めてです。先ずは山門からと、わざわざ道路のほうに回って、急な石段を上って山門から入りました。初めて気がついたのですが、山門の前に石碑が立っていて、なにやら文字が刻んでありました。読むと「不許葷酒入山門」と刻んである。直訳すれば「酒を飲んで山門に入るべからず」と言うことだろうが、「葷」の意味が分からなかった。山門を進んで受付で拝観料を払おうとしたら、まだカーテンが閉まっていた。見たら「受付10:00〜16:00」と書いてあった。時計を見たらまだ9時半だった。仕方が無いので先に勝手に境内を見させていただいた。

そうこうしている内に、境内に女性が一人入ってきたて住居のほうへ入っていた。どうやら受付のパートの女性らしい。やがて受付の建物に入っていったのを見届けて、「あの!拝観したいんですが」と声を掛けたら、女性はビックリしてあわてて入口とカーテンを開けた。300円を払ってパンフレットをもらった。「仏殿と方丈に白いボタンがありますから、押すと案内が聴かれます。ご自由にごゆっくりどうぞ」と、マニュアル通りの案内をしてくれた。「あの―!山門の前の石碑に刻んである文字の意味を知っていますか?」と聞いたら、女性はこんな質問をされたのは初めてらしく、あわてて山門の前を見に行った。いつも受け付にいても、そんな石碑の文字のことまでは関心がなかったようだ。「こんな質問をするお客はいないでしょうね」と、私が言ったら「初めて聞かれました、調べておきます」といって、なにやら厚い本をペラペラめくりだした。パートの女性に聞くほうが無理なのだ。私はそのままもう一度仏殿からゆっくり見学することにした。

初山宝林寺は江戸時代の初期、寛文4年(1664年)に、旗本金指近藤家2代目当主、登之助貞用公の招きに応じた中国は明国の僧、独湛(どくたん)禅師によって開創された黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院である。「仏殿」も「方丈」も共に国の重要文化財に指定されている。「方丈」は住職の住居の建物である。20数年前に来た時は仏殿などは荒れ放題でひどい状態だった。今は茅葺も奇麗に葺かれ、中のご本尊や諸仏像が整然と安置されて立派に修復されていた。お蔭で今は拝観料を取るようになったが、維持費が掛かるので仕方が無い。それでも国宝級の宝物が300円で自由に見放題というのは贅沢である。

方丈の建物の前に阿弥陀三石像が立っている。その前に「金鳴石」という、叩くと澄んだ金属音がするという石が安置されていた。金のなる、商売繁盛の石としてお参りする人が絶えないという。「お参りすれば宝くじが当たる」、とも書いてあった。それではと、置いてあった小石で叩いたら、「キンコーン!」と、説明どおりの金属のような澄んだ音が鳴った。早速帰ったら宝くじを買わないと、と思ったが、後で考えたらお賽銭をあげずに叩いただけなので、ご利益があるはずがない。

のんびり見学して写真を撮っていたら11時になってしまった。別の5人ほどの観光客のグループが入ってきた。受付の女性にお礼を言ったら、「先ほどの石碑の意味が分かりました」と言った。「くんしゅもんにいるをゆるさず」と読んで、「臭いのするものと酒を口にしたものは山門を入ることを許さない」と言う意味だそうだ。「葷(くん)」はニラやニンニク、ネギなどの臭いや刺激の強い野菜のことだそうだ。宝林寺の歴史を書いた厚い本を探したら意味の説明が書いてあったと言う。「お互いに勉強になりましたね」と言って笑って帰ってきた。野仏のページは取材と編集が完成次第公開の予定ですが、可なり時間が掛かりそうなので時期は未定です。(2007・5・25)

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