アンドレのフォト・エッセイ「青春日和」No.3

“愛犬老々介護と突然の悲しい別れ”

桃の花に囲まれた愛犬モモ

高齢化は何も人間の社会だけではない。犬の世界も今や高齢化社会になって大変である。動物の医療も人間並みに研究され進歩して、殆んど人間と同じように至れり尽くせりである。食糧事情も昔に比べはるかに良くなって栄養もバランスも満点である。だから犬も人間と同じように長生きするようになって加齢と共に様々な成人病、生活習慣病にかかる。肥満、糖尿病、癌など人間と全く同じ病気になってしまう。おかげで動物病院は大繁盛である。

我が家の愛犬モモは平成7年3月1日生まれ、桃の節句の頃なので「モモ」と名付けた。今年の3月1日で満12歳の誕生日を迎えるはずだった。人間の歳に換算すると73歳だそうだ。いつの間にか私の年齢を超えてしまっていた。まだまだ老け込むには早い年齢だが、ビーグル犬の寿命は12年が標準だそうだ。さすがに最近急にめっきり歳をとったと感じる兆候が目立つようになっていた。昨年11月に腹部にしこりが見つかり検査の結果腫瘍が出来ていることが分かり、10日間ほど入院して摘出手術を受けた。腫瘍の組織を検査してもらった結果、「血管肉腫」という癌に掛かっていることが分かった。この病気は高度な悪性の腫瘍で、いろいろな臓器や脳に転移する可能性が高いという。それが原因なのだろうか、今年になって急に後ろ足がもつれるようになった。あんなに食欲旺盛だったのに食事に時間が掛かるようになり、間食も要求しなくなった。何度も病院で検査をしてもらったが、これ以上手術をしても治る可能性はないのとのことで注射と薬で処置をしてもらっていた。

いつもは外で飼っていたのだが、寒い冬の夜は心臓に負担が掛かるので、病気になってからは夜は玄関の中に入れていた。体の具合が悪くなったのか、夜中や早朝に啼き続けるようになっていた。ある時は一晩中悲しそうに啼いていた。こちらも眠れなくて寝不足が続いた。かみさんと私と二人とも寝不足では体が持たないので、翌日の勤務に差し支える私は努めて寝かせてもらった。かみさんは盛んに眠い、眠いとこぼしていた。二人とも長男、長女ではないので直接両親の介護の経験はなかったが、まさか犬の介護をするとは思ってもいなかった。介護をする時は、介護をする人も高齢者になっていて、いわゆる老々介護になってしまうので体力的に大変だということを身を持って体験した。勿論人間の介護はこんなものじゃないけれど、老人が老人の介護しなければならない<老々介護>は今や大きな社会問題となっている。

足が不自由になっても散歩はねだった。毎日団地の近回りをぐるっと一回りすれば気が済んだ。後ろ足を引きずりながら歩いた。2月6日に急にご飯が全く食べられなくなった。しかも水も飲めなくなってしまった。あんなに食いしん坊だったのに突然のことでビックリした。生き物がご飯を食べられなくなったらもう長くは生きられない。後ろ足が完全に立てなくなってしまった。それでも歩こうとして懸命に立とうとした。後ろ足を引きずりながら、もう真っ直ぐには歩けないので、庭をグルグル同じところを回った。癌が内臓や脳、口の中まで転移しているのだろうか。可哀想だが手の施しようがない。水も飲めないので脱水症状だけは避けなければならないと、病院で点滴をしてもらった。12キロあった体重が8キロに痩せてしまった。

翌2月7日はもう完全に立つことも出来なくなった。横になって足をバタバタと宙を蹴るように動かし始めた。目はうつろになって、まるで野原を駆け回っている夢でも見ているかのようだった。体力も殆んどないのにそんなに一生懸命に走り回らなくてもいいのに、何時時間も、何時間も足を動かし続けた。日中病院で点滴を受けた。私が仕事に出かける9時ごろから、4時半に帰宅しても同じ状態だったそうだ。もう昼寝をするということもしないで、時々休んでは、また足をバタバタと走るマネをした。そんなことが夜の10時ごろまで続いた。その後は苦しそうな息づかいと全身の痙攣が続いた。心臓に手を当てると、心臓の鼓動が次第に小さく遅くなっていった。遂に2月8日午前2時45分頃、力尽きたモモは家族二人に看取られて永い眠りについた。残念ながら12歳の誕生日は迎えられなかった。11年11ヶ月と8日の生涯だった。かみさんはまだ温かいモモをしばらく抱いていた。

モモは生まれつき片方の尿道が膀胱ではなく子宮につながってしまっているという障害を持っていた。それは家族の一員になってからレントゲンで分かったことだ。ほんとうなら処分される運命にあった犬なのだ。既に6ヶ月ほどに成長して家族になっていたモモを見放すことは出来なかった。以来病院にはいつもお世話になった。出来の悪いやつほど可愛いというが、そんな障害を持っていたからこそ、余計に愛情をかけた。障害児だったが性格はとても良い犬だった。絶対に誰にも吠えたり噛み付いたりしなかった。そんなモモは家族の一員として幸せな生涯を送ったと思う。犬も癌の末期は可なり苦しむそうだ。さぞ苦しかっただろうに、何も喋れないのがふびんだった。こんなに急に別れが来るとは思ってもみなかった。あんなに苦しんだのに、寝顔はとても安らかな顔になっていた。夜が明けて午後になって動物病院の先生が箱と花束を持ってきてくれた。花に囲まれて、まるでぬいぐるみのようだった。

この日の夜は、不思議な現象が起きた。9年前に長女がマンションで飼えなくなったと言って、連れてきてから飼っていた兎のルナが、そろそろ寿命だったとは言え、昼間は普段どおり元気だったのに突然ほぼ同じ時刻に息を引き取ったのだ。兎は年齢になると突然死ぬとは聞いていたが不思議な現象にビックリした。きっとモモが「一緒に天国へ行こうよ」と誘ったのだろうか。そして、この日の未明、2匹の死を悼むかのように音もなく静かに涙雨が降った。翌9日に火葬場で荼毘に付したが、この日の夜半未明にも涙雨が降った。4人?家族だった我が家が突然2人になって、なにか急に間が抜けたような感じになった。未だに朝起きると散歩とご飯ををねだる声がするような気がしてならない。今頃モモとルナは仲良く天国で一緒に遊んでいるのだろうか。「二度とあんなに苦しむ姿を見たくないから、もう犬は飼わない」・・・と、かみさんがつぶやいた。「モモもルナも安らかに眠ってください」(2007・2・17)

「青春日和」トップ