カメラ散歩“三州足助町”

旅行雑誌「旅」の中で「歴史の街並み100選」にも選ばれている、愛知県豊田市の足助町へ春の陽気に誘われて「カメラ散歩」に行ってきた。足助町には矢作川の支流、巴川沿いのモミジの紅葉で有名な香嵐渓がある。秋の紅葉のシーズンには大いに賑やかな所だが、今回訪れたのは3月の下旬、桜の蕾が今にも咲かんばかりに膨らんでいた頃で、モミジはまだ裸の枝ばかりであった。もう一つ有名な飯盛山のカタクリの花がちょうど見ごろを迎えていて、中高年のハイカーが大勢来ていた。

足助町はその昔、尾張・三河と美濃・信州を結ぶ塩の道として、人と物資の往来する交通の要所として栄えました。当時馬が往来した道を「中馬街道」と称し、街道沿いの町の中心部には江戸時代後期から、明治・大正・昭和の初期に造られた古い家並みが残っている。足助の町並みは巴川の支流、足助川に沿って蛇行しながら2キロ余り続く。足助町は以前は東加茂郡足助町と言ったが、今は豊田市に合併され、就業人口の3分の2はトヨタ自動車関連会社に勤める「都市近郊通勤山村」となっている。しかし、足助町の町づくりは流行の安易なレジャー開発を志向しないで、<地域に誇れるものをきちんと自分たちで主張できるような形で守り続ける>という考えのもと、都市に迎合した地域開発を否定し、独自の地域づくりをしている姿勢は大いには共感できる。(2008・3・23)


巴川沿いに明治時代の足助地方の豪農をモデルにした「三州足助屋敷」がある。ものが豊かになるにつれて、私たちは大地の恵みを忘れ、自分に必要なものは自分で作るという生活を忘れてしまった。私たちの周りから消えていった機織り、炭焼き、紙すきなど、多くの手仕事を復活・再現し、将来に伝えていこうとする施設だ。ちょうど周りにはミツマタの黄色い花が満開できれいだった。母屋の藁ぶき屋根とのコンビが美しかった。
飯盛山のカタクリの花がちょうど五分咲きほどで綺麗だった。ここのカタクリの花は写真では見ていたが、実際に咲いている時期に来たのは初めてであった。急な坂道を登って山を一周できるようになっている。山の斜面一面にカタクリの花が咲いていて、なかなか見応えがあった。アマチュアカメラマンが大勢来てファインダーを覗いていた。
<飯盛山の頂上には「飯盛山香積寺(こうしゃくじ)」というお寺がある。足助町や香嵐渓には何度も来ていても、この香積寺まで来たのは初めてだった。ちょうど釣鐘堂の前の梅が満開で、お堂と梅の花がよく似合っていた。このお寺は応年34年(1427年)白峰禅師によって開創された曹洞宗の禅寺で、足助氏一族滅亡後に菩提を弔うために建てられたという。香積寺の11世三栄住職が1634年に参道に数百本の紅葉を植えたのが、香嵐渓の始まりとか。
足助町の町並みを散策していたら、花を飾って玄関まで塞いでしまったこんなお宅があった。これではどう見ても玄関からの出入りは無理だ。各家の前にもそれぞれ花が飾られていて「花のまち足助町」の看板があった。きっと町ぐるみで花の町づくりをして観光客の誘致をしているのだろう。自分の家の生活を犠牲にしても「花のまち」づくりに頑張っている住民の姿勢には頭が下がる。
「玉田屋旅館」は部屋数6室と少ないが、築200年の旅籠ということで、昔ながらの雰囲気に浸れることは間違いない。自慢の料理は地元の山菜や川魚が中心で、手打ちの蕎麦も素朴な味で美味しく評判だという。弥次さん・喜多さんになったつもりで一度こんな旅籠に泊まるのもいいものだ。
本町通りあたりに、いかにも歴史を思わせる古いお屋敷がある。久しぶりに訪ねたので、もしかしてもうないのではと思っていたが、相変わらず木造の格子と土塀の、そのお屋敷に会うことができて感動した。
「加東家」は御菓子所。くさ餅、さくら餅、いちご大福が美味しそうに並んでいた。店の隣の座敷には、1836年の加茂一揆の時の刀跡が残っている床柱があるという。店内には落雁の型も並べてあったり、風情ある佇まいが魅力。店の前に人懐っこい猫が日向ぼっこをしていて、お客が撫でても逃げようともしなかった。
店の前に面白い魚のオブジェが飾ってあった。上を見たら「魚九」の看板が掲げてあった。店の中には魚の並んだ陳列棚があってここは魚屋さんの店先だった。しばらくしたら頭を短く刈り込んだご主人が店の外に出てきた。
玄関を覗いたら、まるで明治時代に戻ってしまったような錯覚に陥ってしまう。玄関を入ると奥まで土間が続いていた。今風に言えば、お宝がいっぱい在りそうな雰囲気がなんとも言えない。確か旅籠屋の玄関先だったような気がする。
「井筒屋陶器店」の店先、「何か面白いもの」が大好きなお母さんが集めた品々が所狭しと並んでいる。大きな狸の置物がこのお店の名物だ。道に迷ったら「狸のお店」と言えばすぐに分かる。
好い感じの自転車屋さんがあった。土間の店先に自転車やバイクが雑然と並んでいる。最近こんな温もりのある好い雰囲気の店先に出会ったことがない。自転車がパンクしたら、直ぐにおじさんが手を真っ黒にしながら、水を入れたバケツにチューブを入れて、空気の漏れた所を探してパンクの修理をしてくれそうだ。
まだ「中馬のひな祭り」が開催されているかも、と期待していたが、すでに期間が過ぎて展示は終了していた。諦めて銀座通りを歩いていたら、お雛様が飾ってある建物の前に来た。「足助中馬館」だった。昔の稲橋銀行支店を利用した足助町の資料が無料で見られる展示館だ。昔の銀行の金庫の中に立派なひな飾りが飾ってあった。その他にも色々なひな飾りが展示してあった。それにしても「銀座」という通りはどこにでもあるものだ。
中馬街道・塩の道
「むかしむかし、爺さんや婆さんが若くてぴちぴちしていた頃、足助は三河湾から塩を運んでくる塩の宿場として大そう栄えておったげな。足助から馬に荷をつんでこの先の山を登ったんだわ。ほいだけど、急な道だでのん、馬も人もなかなか難起だったげな。そのせいか、ここらの人はみんな働き者で器量良しなんだわ、昔の話だでね。・・・ほれ、こんなもん読んどらんと、はよおしっこまっといでん。道ぐろでしたらじぞうさんにおこられるよ。」・・・と書いてありました。

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