アンドレのフォト・エッセイ「令和つれづれ草」No.70

「再びよみがえった三味線」

三味線

30歳の時、何となく三味線の音色に魅かれた。50年も昔の話しである。当時は民謡ブームで原田直之や小杉真紀子など、当時の人気民謡歌手がテレビで毎日のように三味線の伴奏で民謡を唄う番組があった。知人の紹介で三味線の師匠に付いて習うようになった。「三味線の師匠にでもなって、定年後は三味線でも教えよう」という下心もあった。

41歳の時、念願の藤本流準師範の免状をいただいた。その上の師範免状を目指してひたすら練習に励んだ。当時は社中の発表会などで、昔の市民会館の大舞台で着物姿で演奏し、原田直之や小杉真紀子らと一緒に舞台に上がった想い出がある。しかし、その後、世の中から民謡ブームが去って、テレビから民謡番組がなくなって行った。ブームが去ったら生徒も集まらないだろうと考え、50歳になったころ、師範免状は取らないまま三味線の修行を終えた。その後は15歳から始めたギターの練習に再び力を入れるようになった。

しかし、7年ほど前に地元町内で浜松まつりの御殿屋台を他町から借り受けて浜松まつりに参加することになった。お囃子の笛や太鼓は地元の小学生や中学、高校生から希望者が集まった。しかし、今どき三味線の弾き手がいない。自治会の役員がどこから聞いてきたのか、私が三味線を弾いていたのを知って依頼が来た。地元のお役に立てるならと引き受けた。20年以上も押し入れに仕舞ったままの三味線を取り出したら、案の定、太鼓の皮が破れていた。数万円を掛けて革を張り直して再び三味線を弾くことになった。

現役時代は浜松祭りには参加していなかったわたしが、古希を過ぎてから祭りの法被一式を揃えて祭りに参加し、3年間浜松祭りの御殿屋台の三味線を弾いて、市中心街引き回しも経験した。その後は残念ながらコロナ過で祭りは中止が続いてる。今年は2年ぶりに凧揚げは観客を入れて実施するとの市の発表があったが、残念ながら屋台引き回しは中止のようだ。屋台引き回しは実施できないが、2年間中止していたお囃子の練習だけは再開したい意向との自治会役員の話があった。そうしないと子どもたちへの伝統芸能の伝承が途絶えてしまうとのことだ。「再募集して子供が集まるか心配だが、中学生への三味線の指導をお願いしたい」との依頼があった。私も同感で引き受けることにした。(2022.2.20)

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