アンドレのフォト・エッセイ「令和つれづれ草」No.64

「路上観察日記」

路上観察

私の大好きな趣味のひとつに「路上観察日記」というのがある。芥川賞作家・随筆家で美術家の赤瀬川源平さんが首謀していた「路上観察学会」の活動に刺激されての私なりの活動だ。赤瀬川さんの路上観察は、*トマソンやマンホールの蓋、看板などを発見して考察する活動で、本もたくさん出版されている。(残念ながら赤瀬川源平さんは2014年10月に77歳で亡くなった)

*「トマソン」の語源は。元大リーガーとして移籍後1年目はそこそこ活躍したものの、2年目は全く不発にもかかわらず4番打者の位置に据えられ続けたトマソン選手のことだ。空振りするために4番に据え続けているかのようなその姿が、あたかも「美しく保存された無用の長物」の概念を示すのにピッタリだったため、名称として作用された。私は「トマソン」には、そんなに簡単には出会えないので、路上観察で見つけた面白い物件を写真に撮っては、自分なりに考察することにしている。名付けて「路上観察日記」である。

今年から始めた「浜名湖岸・新四国八十八ヶ所霊場巡り」で三ヶ日町に行った時に久しぶりに見つけた路上作品だ。役目を終えた用水をコンクリートでふたをした物体なのだろうか(まさにこれはトマソンだが)、側面に人の顔が描いてある。というか、黒ずんだコンクリートの壁を、木の棒か石のようなもので削って描いた感じだ。自然にできた模様ではなく、明らかにこれはひとが描いた絵だが、何かほのぼのとして面白かったのでカメラに撮ってきた。

左が男で右が女だろうか、一般的な並びはそうだ。そして男と女の顔の真ん中にハートのマークが書いてある。この手の絵はよくある図柄だが、女の顔の目の下の横の線は何を意味するのだろうか。ハートを射る矢なのか?右に書いてあるのは矢を射る手のようにも見える。この絵を描いたのは多分、子どもではなく大人だろう。なにか意味ありげな絵のようで、しばらく眺めていたが私の推理が当たっているかどうか、イマイチ意味がよく分からない。(2021.12.12)

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