アンドレのフォト・エッセイ「令和つれづれ草」No.38

「29番札所 藤谷山 宿蘆寺」

木の葉の影

日本各地に巡拝霊場は数多くあるが、地元でも浜名湖を囲むように札所が点在する弘法大師霊場「浜名湖岸新四国八十八ヶ所霊場」がある。この霊場巡りを今年の目標の一つにした。今年1年では無理なので2年計画で挑戦することにした。

まず最初に訪れたのは西区庄内町にある「29番札所 藤谷山 宿蘆寺(しゅくろじ)」だ。2017年のHNK大河ドラマ「おんな城主直虎」で、直虎が出家したシーンに龍潭寺の山門のシーンとして宿蘆寺の山門が使われたのが印象に残っていて、いつか訪問してみたいと思っていた。

宿蘆寺は室町時代初期の1466年(文正元年)に、この地にあった佐田城の城主・堀江下野守久実(ひさざね)により開基されたとされる。寺の西側には浜名湖があり、蘆(あし)が多く宿っていたため宿蘆寺の寺号がつけられたという。また、藤谷山という山号も、寺の背後の山に藤が自生して、満開の頃は浜名湖を行きかう舟からも見えたところからつけられたとされる。

宿蘆寺には三方ヶ原合戦の際、戦いに敗れた徳川家康が逃げ込んだという伝説が残っている。戦いに負けた家康が数人の家来を連れて浜名湖のほとりまで逃げてきた時、敵の目を逃れて安堵し眠くなった家康は、近くに寺があることに気付き、家来が山門の戸を叩いたり叫んだが返事がなかった。その寺の名前が宿蘆寺だと知った家康は、蘆の中で眠ることを思いつき、家来が湖畔から一隻の小舟を見つけて、蘆の茂みの小舟の中でゆっくり眠ることができた。翌朝、宿蘆寺の和尚たちは、小舟で眠る家康を見つけて驚き、そしてもてなしたという。

この手の話しには、後で誰かがまことしやかに面白おかしく創作した作り話が多いので、真偽のほどは分からない。宿蘆寺を訪れたのは2月27日の土曜日、境内には大きな椿の木がたくさんあって、赤や白の花が満開を迎えていた。山門に通じる山道には赤い椿の花がたくさん落ちていて、大河ドラマで見たイメージ通りの雰囲気であった。1776年(安永5年)に完成したという本堂は、寄棟造りの立派な建物だった。住職の家族だろうか、境内で小学生くらいの男の子が一人でペットボトルに水を入れて遊んでいた。(2021.3.7)

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