アンドレのフォト・エッセイ「令和つれづれ草」No.37

「写真はモノクロに限る」

木の葉の影

写真を部屋に飾る場合はモノクロに限る。カラーの場合は、作品の絵柄がそのまま部屋の中の風景の一部として連続してしまう。モノにはすべて色彩が付いている。だから、カラープリントの場合はその周辺の風景と混在してしまうのだ。 モノクロの場合は、最初から「色彩を断念」してしまっている。だから周辺の現実世界を断念して、そこに独自の画像世界が展開するのだ。これがモノクロの魅力だ。(写真家:田中長徳氏の言葉)

私も写真はモノクロが一番魅力があると思っている。20代の頃はニコンFにモノクロフイルムを詰めてよく撮影に行った。帰って来ては夜中に酢酸の匂いを嗅ぎながら、フイルム現像、プリント作業を徹夜して行った。カラーになってからは自家現像は採算上断念した。50年以上も昔の話しである。しかし、デジタル時代になってからは自宅でパソコン相手に手軽にできるようになって、コストもかからず、自由に作画できるのはありがたい。デジタル時代になってカメラ屋とDP店は廃業していった。

若い時代の長い蓄積があるおかげで、写真に関しては一応のうんちくを語ることができるようになった。下手でも長年やっていると写真も文章も人前に出せるようになって、今の生活の中で大いに役に立って「継続は力」を実感している。もっとも、年齢を重ねると、恥をかくことには耐性が備わってきたというか、妙な自信が付いて、一種の「老人力」が付いてくる強みがある。これを平たく言うと「年の功」という。

モノクロの被写体を探して佐鳴湖公園の上の段に足を延ばした。写真は光と影の芸術である。朝日に照らされて太い幹に木の葉の影が美しかった。美しいと感じるかどうかは見る人の自由であるが、やはりこんな被写体はモノクロが一番ふさわしい。ただし、デジタルカメラは何もしなければカラーで撮れてしまう。モノクロに設定すればモノクロ撮影ができるが、この場合は本来のカラーに戻すことはできない。この写真はカラーで撮った写真をあえてモノクロに変換してある。一種のごまかしの写真である。(2021.2.28)

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