アンドレの「デジカメで気ままにエッセイ」No.51

“麻呂”と“モモ”

“麻呂”と“モモ”は我が家の愛犬の初代と二代目。私は初めから愛犬家だった訳ではありませんし、今でも積極的な愛犬家と言う訳でもありません。

初代の“麻呂”は捨て犬でした。もう、15年ほど前のことです。11月も終わりの、朝から小雨の降る寒い朝でした。朝、目が覚めて、新聞を取りに玄関を出ると、何やら子犬の鳴き声のような「キュン、キュン」と言う声が聞こえてきました。声のするほうに目をやると、家の前の土手のところに、段ボール箱が一つ置いてありました。近づいて見ると、何と未だ目も見えないほどの茶色の子犬が3匹、寒そうに震えていました。

妻に話すと、「可愛そうだから、飼ってあげようよ」、と言いました。妻は自分が戌年生まれと言うわけでもありませんが、犬や猫が大好き人間です。しかし、3匹も飼うわけにもいかず、その内元気そうな一匹を飼うことにしました。名前もほんとは雌犬なのに娘が勝手に「麻呂」と付けました。 さて、それからが大変でした。早速ペットショップへ行って犬用の哺乳瓶、粉ミルク、オムツまで買って来て、まるで久しぶりに我が子を育てるような気分でした。目も見えなかった子犬もだんだん大きくなって、絨毯におしっこをしたり、家具をかじったり、皮のソフャーをぼろぼろにされたり、それはそれは大変でした。

生き物を飼うのは世話が大変だから、あまり好きだはなかった私ですが、飼っているうちに情が移ってしまって我が子のように可愛らしくなって困りました。 我が子のように育てた麻呂ですが、本当の母親の愛情を受けないまま捨てられたからでしょうか、大きくなるにつれて臆病になって、首輪を変えようとすると飼い主の私を噛む様になりました。やはり、こんな動物でも子供の頃の母親の愛情の大切さを教えられました。

そんな麻呂も4歳を過ぎたある日の夜、突然変死してしまいました。昼間は普段と同じように元気だったのに、原因は分りませんでした。今頃麻呂は天国で母親に甘えているかもしれません。2代目「モモ」も又問題児でした。が話が長くなりましたので、次回のお楽しみにします。(2003・4・10)

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